第2692回 皇太子 東宮裕仁殿下訪欧記念写真帳を楽しむ。模型公園風

みなさん こんばんは、模型公園です。 2017年7月15日土曜日の投稿です。





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  昭和天皇こと、 皇太子 東宮 裕仁殿下の訪欧の旅行写真帳を少しずつ

 毎週土曜日に紹介して行くシリーズです。


 今回は、その2回目です。

 先週、冒頭の部分を少し紹介しましたが、 今日は その続きです。



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   この第3艦隊記念写真帳は、2年後の大正12年9月の関東大震災や、

 大東亜戦争の戦災などで、失われたり、破損した物や、 もともと、非売品で



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 関係者のみの配布であったことから、 保存状態の良い物は少ないのが

 現状です。



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            【 日本海軍 第3艦隊 司令部幕僚集合写真 】

 後列 右から 阿部 弘毅 海軍大尉、 水戸 春造 海軍少佐、  住山 徳太郎

海軍少佐、  竹中徳太郎 海軍少佐、 寺島 健 海軍中佐、 須田 稔 海軍機関

少佐、  宇垣 完爾海軍大尉

前列 左から 立野 至 軍医大佐、 田口 久盛 海軍少将、小栗 孝三郎

海軍中将、關 重光 機関大佐、服部 邦光 海軍主計大佐、 




                第3艦隊司令部とは、


  第3艦隊とは何かと言うと、 明治から大正時代にかけては、 第1艦隊と

第2艦隊が常設艦隊で、演習では 紅白に別れて戦技を競ったのです。

 普段は存在せず、 臨時に編成される艦隊 つまり それが第3艦隊で

ありました。


司令長官 海軍中将 小栗 孝三郎 【後の 海軍大将】

参謀長 【副司令官】 海軍少将 田口 久盛 【舞鶴鎮守府参謀長】 

機関長 海軍機関大佐 關 重光【海機5期 海軍機関少将】
     
軍醬長 海軍軍醬大佐 立野 至  【後の海軍軍医小将】

主計長 海軍主計大佐 服部 邦光  【後の海軍主計小将】

参謀 海軍中佐 寺島 健  【 後の海軍中将 鉄道大臣】 

副官 海軍中佐 竹中 徳太郎  【国際連盟代表随員】

参謀 海軍少佐 住山 徳太郎  【海軍中将 海軍次官

参謀 海軍少佐 水戸 春造    【後の海軍中将】

参謀 兼 副官 海軍大尉  阿部 弘毅  【第三次ソロモン海戦の司令長官】

参謀 海軍大尉 宇垣 完爾 【海軍中将 宇垣 一成陸相の甥 】

参謀 海軍機関少佐 須田 稔 【 後の海軍機関少将】

司令部附 海軍大尉 公爵 小松 輝久 【後の 佐世保鎮守府司令長官】

司令部附 海軍軍醬中尉  長谷川 静一 【後の海軍軍医小将】

司令部附 海軍薬剤中尉  一條 正一  【後の海軍薬剤少将】

司令部附 掌信号長 海軍特務少尉 花畑 周七

司令部附 海軍主計特務少尉 赤嶺 龍

司令部附 掌通信長 海軍兵曹長 木崎 芳蔵

司令部附 海軍軍楽兵曹長 福喜多 鎮雄

司令部附 海軍軍楽兵曹長 山田 栄

歯科治療嘱託 三村 勝隆

司令部附 技手 松島 徳三郎

活動写真班業務嘱託 藤原 幸三郎

活動写真班業務嘱託 持田 米三

写真班 業務嘱託 福永 廣之助



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  下士官の人達の数が多く、入力は時間の関係で省きます。

  大正10年の 第3艦隊の司令部は、25名の他に、54名の司令部附きが

  配置され、司令長官を含めて総勢79人の構成であったそうです。




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司令部の統帥下に2隻の艦艇があり、一隻目は お召し艦 鹿島 【かしま】


           艦長 海軍大佐 小山 武 【 山城艦長時 日本初の航空機発艦

                             実験を成功させる。 海軍少将】

           副長 海軍中佐 男爵 井上 清純 【貴族院議員】 


          以下 16分隊


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                      鹿島 準士官以上




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                   香取  【 かとり 】


      艦長 海軍大佐 漢那 憲和  【後の衆議院議員

      副長 海軍中佐 北島 周作  【後の海軍大佐】


             以下 16分隊の構成でした。

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             今週は、このくらいで、又来週 紹介して行きます。


    【来週に続く。】