第1882回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1881話 通訳官 武田 勘太郎の最後の事、
2017年7月16日 日曜日の投稿です。
【やんばん】という身分の若い兵士を軍事教練していた、 堀本 禮造【らいぞう】
工兵少尉の通訳をしていた 武田 勘太郎 通訳官は、 大変な激務をこなして
いたのですが、 どっと 兵士が押しよせてきて、何が何やらわからないうちに
事件に巻き込まれていったようです。
一瞬、 軍事教練を見学しに来たのかと思い 近寄っていくと、弓矢で射られ
あっという間に落命し、 教練を受けていた 両班の武衛官の兵士達も、小銃を
持っていても、弾薬がなければ、何も出来ないわけでして、槍で突かれて落命
していったようです。
軍事教練をしていた、 堀内 禮造 工兵少尉も、この時、殺されたと言われ
ています。
1882年 明治15年の7月23日の戦闘で、閔妃の一族が教練していた
別技軍 と呼ばれた部隊は、日本人教官と一緒に全滅し、大院君 興宣の
武装勢力は、王宮をめざして進撃していったのです。
大院君 興宣は、 自分の次男の嫁の 閔妃を 「 処刑せよ。」 と命令し、
兵力を 閔妃の住む 王宮に向けていったのです。
当時のお話しとして、 王宮の中にいた、閔妃と その一派は、暴動が
起きる予兆を感じていて、 身の回りを守る為に、 別技隊を組織していた
様ですが、 なにがどうなって、 何が起きているのかわからない間に、どっと
王宮に 謀叛の兵士達が乱入し、 混乱を極めていったようです。
皇后の閔妃は、 とっさの機転で、 侍女に自分の衣服を着せて
影武者とし、 自らは、混乱に紛れて、王宮から脱出を行うのでした。
反乱軍は、皇后 閔妃の命を取るよう命令され、 王宮の中に乱入していった
のですが、 肝心の 閔妃の 顔を知らなかったのです。
そこで、豪華な建物を家捜しして、 立派な衣服を身につけている女を捜して
いったようです。
終わった5年程後の出来事でした。
閔妃の 身代わりとなった侍女は、 感心な事にというか、 腹が据わった
人と言うか、 閔妃の 寝所に わざと逃げ込んで、一芝居打つのでありました。
【明日に続く。】