第1883回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2017年7月17日月曜日の投稿です。
滅私【めっし】の精神というのを教え込まれたのです。
自分の命を投げ打って、 部隊全員の為に潔く死を選ぶ、 自分の命を投げ
打って艦全体の礎となる。
いつでも、 明日、明後日といわず、 今すぐ皇国【おくに】の為に死ぬ覚悟を
求められていったのです。
ここで、自分が敵を一手に引き受け、蜂の巣になって死のうが、他の人が
助かれば本望であると、教えられ、実行していったのです。
こう言う 滅私の精神の心がけで、 みんな 命を投げ打って、皇国の為に
亡くなっていったのですが、 私達が生まれる前、 1882年 明治15年
【クーデターを起こした 大院君 興宣 】
7月23日の暑い日、大院君 興宣 は、 国王 高宗の妃、 閔妃とその一族
が日本人と結託して、大朝鮮国を日本に売り渡そうとしていると叫んで、日本人
禮造【らいぞう】さんや、 練兵場で 通訳をしていた、 通訳官 武田 勘太郎
さんを、なぶり殺しにして、首を切断し、 一緒にいた朝鮮人の兵士も殺害し、
軍勢は、 国王 高宗の住む 王宮へ向かっていき、 武衛官という 国王の
身辺警護の兵士を殺害し、 どっと王宮の中に流れ込んでいったのです。
「 閔妃【びんひ】の首を取った者には、望みの恩賞をとらす。」と、沙汰が出て
みんな血眼になって殺到したのですが、みんな、 国王の妃の 閔妃の顔を知る
人はいなかったのです。
そのような事で、宮殿に乱入し、身分の高そうな、身なりの女官を片っ端から
捕らえて拷問し、 閔妃を捜して歩いたのです。
そのような中、 1人の身分高そうな身なりの 女人が 「無礼者、その者を
放しなさい、何の罪があるというのです。 ええぃ 放しなさい、王妃に対して
無礼であろう。」 と叫んで、 奥の方に走って行ったのを見ると、軍勢は、「 閔妃
に違いない、 追いかけろ。」 と、大勢で王宮の奥深くに乱入していったのです。
引きつけ、自ら囮となり、 閔妃は、 身分の低い者の服に着替えて、王宮を脱出
していったのです。
ここで、わざと押し寄せて来た男共に、毒を飲む姿を見せつけて、 床に倒れた
のです。
まさに、見事な最後であったと伝えられています。
死んだ。」と、誰もが思い込んだのです。
そして、 彼女の肉体の一部を切り取って 恩賞に預かろうと、切り刻まれ
だれか、わからない程度、 バラパラにされたそうです。
大院君 興宣の 落ち度は、彼女の死を確認しなかったことでした。
いや、 「服毒自殺した。」と言う事だけで、遺体の確認が出来なかった
ようです。
閔妃は、国王 高宗を置き去りにして、 水汲みの身分の低い 李 容翔らに
腰を担がれて、 清国をめざして逃走していったのです。
彼女は、 大院君を 「殺しておけば、このような事にならなかった。」と、後悔
することになっていったのです。
大朝鮮国は、封建主義の独裁政治をしていた 閔妃 と、閔一族が襲われ
王宮から追い出される動乱になって行ったのです。
次の矛先は、 日本人のいる、日本公使館が襲われる事になっていったのです。
【 明日に続く。】