第2700回 皇太子 東宮裕仁殿下【昭和天皇】訪欧記念写真を楽しむ 模型公園

みなさん こんばんは 模型公園です。2017年7月22日土曜日の投稿です。





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             【 皇太子 東宮 裕仁殿下  後の 昭和天皇 】


  毎週 土曜日の夜に紹介している 東宮 裕仁殿下 訪欧記念写真帳の

  第3回目の投稿です。


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  この第3艦隊記念写真帳は、非売品で当時の関係者のみに配られた数の

  少ない写真帳の上、2年後の関東大震災、 その後の 大東亜戦争

  空襲などで焼失した物が多く、 保管しておくより、みなさんと一緒に

  少しずつ 楽しんでいただけたらと思います。


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   この第3艦隊記念写真帳の写真が撮影されたのは、大正10年3月から

   9月にかけて、 つまり、関東大震災の2年前の写真です。

   今から、約100年程度前の写真と言う事になります。



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  前回の先週の土曜日に第2回では、 第3艦隊とは何か という事

  を写真と資料で紹介したと思います。

  第3艦隊の司令部の下に、 日本海軍 香取、 鹿島の2隻が配置

  され、 皇太子 東宮 裕仁殿下の護衛をすることになりました。

  皇太子殿下が 乗艦されるのは、 横浜港 と指定され、横須賀を

  出港し、 横浜で投錨して、 皇太子殿下をお待ちしました。



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    答舷礼 【 とうげんれい】 と言って、 みんな整列して、まだ寒い潮風の

   吹くなか、 整列して 皇太子 東宮 裕仁殿下の到着をお待ちしました。




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       香取 鹿島の2隻は同型艦で、イギリスからの輸入した艦でした。

       内部は、写真の様に 皇太子殿下が乗艦されると言う事で、特別

       に工作され、 他の艦艇より 豪華になっていました。



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    ここが 殿下のお座りになった場所とあります。

    当時の最新鋭の扇風機が置いてありました。

    この扇風機、現在 動く品は数点となっていて、 扇風機の出だし

    の初期の鉄のプロペラの品です。


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     ここは、 宮内省、外務省の随員一行のテーブルです。

      
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   上の写真が、 外務省、宮内省随行者の集合写真で、前列

   右から3人目の 珍田 捨巳 さんが 統帥者でした。

   当時、霞ヶ関の役人の中で、1番の実力者で、外交官の経験豊富な

   方でした。



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   東宮 裕仁 殿下は、東京駅から 特別列車で 近衛連隊が護衛して

 横浜駅に到着され、 横浜港から、 上の写真の 短艇で乗艦されること

 になっていました。

   いよいよ、 皇太子殿下の 御召艦 香取 乗艦です。

 日本海軍の軍人で、 海軍大佐で一生が終わってしまう人がほとんどの

 この時代、 皇室の御召艦の艦長になれたのは 優秀な人で 将来 将官

 になる 最有力者が抜擢された 名誉な 任務でありました。


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   上の写真は、 香取の甲板の主砲の上に天幕を張って、 皇太子を

    お迎えする時の写真です。

    服装から、まだ寒い3月の冷たい潮風の中、行われたと推測されます。

    右は服装から 陸軍の佐官のようです。

    御付武官と呼ばれる人達で、陸軍中佐の優秀な人しかなれなかった

    そうです。


    今週は、このくらいにして、 続きは来週の土曜日の夜に予定しています。


     【来週に続く。】