第1859回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1858話 壬午事変【じんごし゜へん】フライング フィッシュ 号の事。

                      2017年7月23日日曜日の投稿です。




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   1882年 明治15年の7月26日に日付けが替わり、翌朝からかんかん照り

  の夏日の中、食事は出来ず、水は無く、 海上に漂流することになった、朝鮮

  日本公使館の 花房 義質【よしもと】公使一行の15名は、そのほとんどが、

  何がしかの負傷を負い、 意気消沈しているところに、運良く、西洋船が通り

  かかったそうです。

  この船が 大英帝国 フライング フィッシュ号と言う艦船であったそうです。

  渡りに船とはこのことで、 みんなで、 手を振って 救助を求めたようです。



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   ところが、相手が警戒して、すぐには助けてくれなかったそうです。

   当然のことながら、 武器を持って 小舟を数隻浮かべているので、初めは

   イギリス人は海賊ではないかと疑ったようです。



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    「 アナタタチハ ナニモノデース。」 「 日本公使館のもんじゃ、朝鮮人

 襲われて、みんなケガをしていてヘルプ ミー。」 と言うと、 「 ウソヲ イッテハ

イケマセーン。」 「 ゼンイン タイホシマース、 ホウルドアップ、ブキヲステナサ

ーイ、 イウコトヲキカナイト シャサツシマース。」 と、 強談され、 手に持っていた

サーベルなどを 置いて、両手を挙げて、フライング フィッシュ号に 乗り移った

そうです。



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【 花房 義質【よしもと】 朝鮮日本公使館 公使  岡山県倉敷市真備町出身】


「 わしらを 長崎に連れて行ってくれたら、 外務省から礼金をたくさん支払う

ので助けてくれないか。」 と言うと、 「 アナタノ ハナシハ シンヨウデキマセーン

センシツニ カンキンシマース、 カッテニ デアルイタラ シャサツ シマース。」

と言って、 公使館一行は、 船底の貨物室に連行されたのです。


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   当時も今現在も、小舟に乗っている人を拾い上げると、実は海賊の手引きを

 する先手と呼ばれる海賊で、 船の中で 隙を突いて、船員を拘束し、船を乗っ取

 るというのは、海賊がよく使う手法で、 当時の フライング フィッシユ号では

 警戒し、 花房 公使の 流ちょうな英語のお話しを信じようとしなかったのです。

 朝鮮公使館の一行は、 船室に監禁され、 連行されることになったのです。


  【明日に続く。】