第1903回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1902話 中朝商民水陸貿易章程 の事。2017年8月29日火曜日の投稿です。







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  清国人に大朝鮮の首都 漢城が占拠され、多くの大院君派の官吏と家族、


 そして、一族、親戚まで捕らえられ、皆殺しにされていた、1882年の明治

 15年 10月4日、 清国人が 朝鮮人の処刑と一緒に進めていったのが、

 中朝商民水陸貿易章程 という条約を 清国側から、大朝鮮国に押しつける

 形で、中国の天津で締結されたと言われています。



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                    【 清国の北洋大臣 李鴻章 】


    その条約とはどういう条約であったのかというと、 朝鮮国王は、清国の属国

  であることの確認、明記  そして、宗主国と、属国の朝貢関係の不変の明記

  これはどういうことかというと、 大朝鮮国は、毎年、 貢ぎ物を清国に治めなけ

  ればならない事を定めた物であったのです。

  それから、 清国の北洋大臣の李鴻章は、大朝鮮国の国王と同格であること

  が定められ、 大朝鮮の商人に、清国での商いを認める代わりに、清国人の

  商人が 大朝鮮国内で自由に商売、旅行が出来、 その身分が保障される

  と言う物であったのです。


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                  【  清国の外交官 馬 建忠 】


  これらの条約の一切は、 清国の外交官の馬 建忠によって、筋書きがされ、

  両国の国際条約として、 大朝鮮国の 金 宏集らによって、締結されていった

  のです。



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                    【  大朝鮮国の 金 宏集 】


   この条約はどういうことかというと、 朝鮮半島で清国人が自由になんでも

できて、その身分と安全を保証され、 大朝鮮国は、清国の臣下の属国で、その

国王の身分は、 清国の 北洋大臣と同格で、 毎年 多額の年貢を清国に

希望通り 朝貢しなければならないと言う条約でありました。



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    これによって、 清国は 朝鮮での漢城を支配し、政治の実権を握り、

  人々から年貢を集めて、 それを貢ぎ物と称して、 清国に持ち帰る、 こういう

  泥棒行為を、 朝貢 という名前で 合法化していったのです。

  つまり、 大朝鮮国は、独立した国から、清国の植民地のような地位に落とされ

  これに反発する人達は、 捕らえられて 処刑されていくことになって行ったの

  です。


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   大朝鮮国の首都 漢城の王宮は、清国の軍隊が常駐し、 門番も朝鮮人から

  清国の兵士に変わっていき、 庶民から見た場合、 閔妃 と 閔氏 が大院君

  興宣に追い出され、 復権するために、 王宮と政治を 清国に売り渡したと

  思われるようになって行ったのです。



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    そして、 大朝鮮の役所は、 清国人の指図で物事を行うようになり、

    清国人に尻尾をふる 朝鮮人の役人が幅をきかすようになって行ったのです。

    その結果、 清国人のご意向で、 朝鮮人の官吏が、 同じ朝鮮人を罪もない

    のに捕らえて、 拷問して、無理矢理罪を着せられて、 清国人の指示で

    見せしめの為に広場で処刑されていく行為が 繰り返されていったのです。



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     朝鮮国内には、これらの行為に対して、抵抗しようという 独立党という

     組織が結成されていったのです。

     独立党の目的は、 清国人と一緒に非道を行う 事大党 という清国人に

     尻尾をふる 朝鮮人を一掃し、 朝鮮から 清国人を追い出し、 もう一度

     朝鮮人の国家を造ろうという組織であったそうです。



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        これらの動きは、清国人の 呉 長慶 大将軍の軍勢と、事大党の

       閔氏の軍勢によって、 容赦なく攻撃され、多くの人が殺害されていった

       のです。

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     これを勉強すると、朝鮮半島は 1882年9月初頭から、清国の実質、

    植民地にされ、 多くの人が捕らえられ、見せしめで 公開処刑されていった

    ようです。

    今後、どうなっていくのか、 もう一度、日本の慶應義塾に戻って、続きを

    一緒に少しずつ勉強して行きましょう。


       【 明日に続く。】