第1921回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1920話 大朝鮮国 海関 の事。2017年9月16日土曜日の投稿です。



イメージ 1



  前話で、清国の北洋大臣 李鴻章が、ドイツ帝国の北京公使館の副公使

だった、ドイツ人の メレンドルフ と言う人を、高額の俸禄で雇い入れ、大朝鮮国

の首都の漢城の王宮に派遣し、 外務協弁 【外務大臣相当】の重職に据えたと

いうお話しを紹介したのですが、 彼は たどたどしい朝鮮語をマスターし、

朝鮮人王室と通訳無しで会話して、多くの人が彼を頼りにしていったのです。



イメージ 2
 


                 【 国王 高宗の妃 閔妃 びんひ 】

 
   当時、貢ぎ物と称して、 年貢を集めても清国人が根こそぎ持って行って

しまうので 朝鮮の王宮には、米もなければ 金もない、何も出来ない状態が2年

程度続いていて、困り果てていたのです。

  外務協弁 メレンドルフ さんに、 その窮状を訴えると、 こう返事をした

そうです。


イメージ 3



             【 パウル ゲオルグ フォン メレンドルフ 外務協弁】


 「 ワタシニ、ヨイ カンガエ アリマース、 ワタシノ イウトオリ、オキサキガ

 キョウリョクシテクレタラ オカネ タクサン タクサン ココニ モッテキマース。」

 と言うわけです。

 閔妃と 閔氏の一族が、 メレンドルフ に協力を打診すると、彼は、袁世凱

 将軍のところに出向いて、 こう切り出したのです。



イメージ 4
 


   「このままの状態が続くと、朝鮮の王宮は疲弊し、我々清国の言う事を聞か

なくなり、反乱が起きるでしょう、 そうなる前に、ある程度彼等をこちらに引き寄

せて面倒をみて、 彼等の心を引きつけておく必要があります。

  私は、貿易の輸入品に関税をかけて、 その税収で王宮の疲弊を建て直そうと

 考えています、 税関事務所の開設を許可していただきたいのです。」

と言うと、袁世凱将軍は、 関税をかけて得た利益にも、清国の取り分を入れて、

残りを朝鮮人に渡すことに同意したと言われています。



イメージ 5



   当時、大朝鮮国は、長い間鎖国をしていたので、関税という考え方が無かった

  というか、知らなかった人が多かったようです。

  ここに来て、開港している 仁川や、釜山で税関事務所を開設し、輸入品に

  関税をかけて、税収にしようという、 メレンドルフ 外務協弁の意見が採用され、

  大朝鮮海関 という関税を輸入品に対して課税する役所が設立されていった

  のです。

  当然、海関の総括責任者は メレンドルフ さんでした。



イメージ 6
 


   ある日突然、イギリスや、アメリカや、日本や、ドイツの商人に、持ち込んだ

 商品に対して、運上金がかけられていったのです。

 当時、ずいぶんな金額の運上金が集まり、王宮の閔氏のところにこれらが

 持ち込まれ、 貧乏していた 閔妃と、その一族は大喜びして、メレンドルフ

 外務協弁を、 インドクー と呼んで、称え、尊敬するようになって行ったのです。



イメージ 7
 


      【 アメリカ合衆国政府 朝鮮公使 ルーシャス ハーウッド フット】


   アメリカ合衆国政府の ハーウッド フット 公使や、 大日本国の 竹添 

 進一郎 朝鮮公使などは、 条約違反であると、 大朝鮮国の外務協【外務省の事】

 に厳重に抗議を行うことになって行ったのです。


イメージ 8



      【 大日本国 外務省 竹添 進一郎 朝鮮公使 熊本県天草出身 】


  当時、大日本国と 大朝鮮国は、関税はかけないという条約を結んでいた

のです。

  ところが、 つい数ヶ月前まで、大ドイツ帝国の副公使をしていた、メレンドルフ

 さんに、 国際法や、 いろんな話を持ち出され、煙に巻かれて 関税のような、

 運上金が、貿易商人にかけられていったのです。


イメージ 9



   朝鮮半島は、 ドイツ人の外務協弁 兼 海関のメレンドルフ さんの方針で

   大きく変化していき、 それに反発する 外国人貿易商人や、その取り巻きの

   開化派と呼ばれる 外国人と仲良くしていた朝鮮人に怨まれるようになって

   行ったのです。

   反対に、 王宮で、貧乏していた 閔妃と、閔氏の一族からは、多いにありが

   たがられ感謝されていったのです。



   【 明日に続く。】