第1926回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2017年9月21日木曜日の投稿です。
1883年 明治16年当時、 大朝鮮国から 新たな円借款 300万円なる
お話しが外務省に申し入れがされたとき、大騒ぎになって行ったそうですが、当時
の大日本国の1年の国家予算が5千万円程度であったそうです。
賠償金を10年払いに延長し、6ヶ月しか経っていなかったのです。
そこに、金 玉均 氏が来日し、300万円の借金の申し入れに対して、だれも
耳を貸そうとはしなかったそうです。
そんなことを行って、もし 大朝鮮国が返済が出来なくなったことを推測すると、
みんな責任が持てないとのことで、 首を縦に振らなかったのです。
行って、 福沢 諭吉先生が、慶應義塾一門の人達に呼びかけて、横浜正金
銀行から17万円の融資を受けて 数ヶ月しか経っていなかったので、 さらに
300万円 という途方もない話を持ち込めないと悟った、金 玉均 氏は、いろんな
ところに頭を下げて歩いたそうですが、誰も相手にする人はいなかったそうです。
当時の17万円を現在の貨幣価値に直すと、何を基準にするかで前後しますが
おおよそ、17億円から20億円前後程度と思われますが、 このお金も、借りて
そのまま、大朝鮮国は返済が出来ない状態になっていたのです。
【 金 玉均 氏】
金 玉均 氏は、仕方なく、 井上 角五郎先生の紹介状を持って、土佐
自由党の 後藤 象二郎公のところに相談を行いに行ったそうです。
ここで、話は大きく波打ち、 彼は途方もないお話しに飲み込まれていったの
です。
それは、土佐藩 前参議 後藤 象二郎公が 300万円の借款と、朝鮮の
維新回天を支援すると言うお話しであったそうです。
【 明日に続く。】