第1930回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1929話 土佐自由党の誤算、「トンキン戦争勃発スッ。」の事。
2017年9月25日月曜日の投稿です。
「トンキン戦争勃発スッ。」という、トンキン戦争というのは、戦後の現在
日本人から忘れ去られ、知る人は少ないのですが、 フランス海軍の将校が
なって行ったことを言います。
二階に上がらせて、梯子が外される行為があったのは、1883年 明治16年
の7月のお話しだったそうですが、フランス海軍から、前向きな話が、三菱側に
あって、その回答が、土佐自由党の幹部に報告され、どんどん朝鮮征討の話を
進めている最中であったそうです。
海軍の部隊 550名の部隊が上陸し、 指揮官 アンリ リピェールと言う人が
独断というか、成り行きで、現地で戦争を始めたそうです。
【 フランス海軍 アンリ リピェール】
初めは、フランス海軍が西洋兵器で圧倒し、 ベトナム側が清国に援軍を
依頼し、 やってきたのが、 以前紹介した、日本陸軍と樺山 資紀 海軍軍
令部長らが台湾で戦火を交えることになって行く、黒旗軍の 劉 永福 大将
軍でした。
どんどん、フランス軍の補給を断っていったのです。
つまり、 フランス軍の 強い場所は攻撃を行わず、 弱い、補給部隊を
密林で襲い、補給物資を強奪して、 フランス軍を困らせていったそうです。
西洋兵器というのは、 弾があるうちは強いのですが、 弾がなくなると
大砲や小銃は、 弓矢や、槍に負けていったそうです。
殺害されると言う事件が、 1883年 明治16年5月10日の出来事であった
そうです。
この戦争を トンキン戦争と呼んでいます。
よその国に 攻め込んだフランスが悪いわけですが、2ヶ月程度して、
この事件がフランス本国に報告され、 報復を行い、インドシナを占領し、
植民地にするように 命令が海軍省から発令されたと言われています。
【 フランス極東艦隊 アメデ リピェール 司令官 】
窓口の アメデ リピェール司令官が任命され、 三菱と 後藤象二郎 公側に
「 朝鮮の軍事協力のお話しは無かったことにしてほしい。」 と、断ってきた
そうです。
フランスとしては、 本国の海軍省の命令の方が優先されるという訳であった
ようです。
の連合軍との武力衝突は、清仏戦争と呼ばれ、日本と朝鮮に大きな影響を当時
与えて行く事になっていったのです。
軍資金の借款が出来なくなり、朝鮮半島での征討計画は、頓挫していったの
です。
【明日に続く。】