第1935回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1934話 フランスの植民地獲得政策の事。

                       2017年9月30日土曜日の投稿です。




  1884年 明治17年の初頭に、 大日本国に対して、「朝鮮半島に出兵して、

朝鮮半島を征服して、 鴨緑江を渡って、 清国領 遼東半島に攻め込んでもら

いたい。」 と、申し入れして来た当時のフランスの指導者は、 ジュール フェリー

首相であったのです。


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              【 フランス国  ジュール フェリー首相 】


  彼は、イギリスや、ドイツや、オランダと競い合うように、アフリカや東南アジア

の国々を武力で征服し、 その国の人達を支配し、 その国の若い人達を兵隊に

して、フランス軍の士官と下士官をつけて、植民地軍を編制し、 次の国をどん

どん侵略していたのです。



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  1884年 明治17年の2月になると、 フェリー首相は、それまで海軍主体で

あった インドシナ派遣軍を 本格的な陸軍部隊を投入して、 陸軍の司令官

シャルル デォドール ミロー将軍 を任命し、フランス海軍と商船をチャーターして

植民地で編制した軍隊をどんどん インドシナこと ベトナムに上陸させていった

のです。


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  アフリカのセネガルからは、 セネガル総督 ルイ ブリエール ド リール

 陸軍少将や、 北アフリカアルジェリアからは、 オスカルド ネグリエ 陸軍

少将の部隊が着陣し、 体制を整え、 大攻勢の準備を整えていったのです。

 こう言うわけで、 フランス人というのは、 部隊の将校と、 それを補佐する

下士官がフランス人で、 その下の兵隊は 使い捨てで、アフリカの植民地で

招集された アフリカの若い青年や少年であったのです。

これらの人達を動員して、 新たな領土を獲得してを繰り返し、征服を繰り返して

いったのです。



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          【  朝鮮出兵に反対した 伊藤 博文 伯爵 】



    伊藤 博文 公がフランスの要請で朝鮮に出兵するのを反対したもう一つ

 の理由は、フランスは、日本を清国との戦争に利用して、国力が弱まれば、日本

 に攻めてくるに違いないと考えていたと言われています。

 「 フランスと手を組んで朝鮮を攻めようとは、 土佐自由党の連中は、なにを

  考えとるんか、 口では 自由と民権を叫び、 裏では、 フランスと手を組んで

  戦争をやろうという。」 と、不審感をあらわにしていたと言われています。



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  こうして 歴史を見て行くと、「 自由 民権、 議会制民主主義の興亜の確立。」

と言う慶応義塾の福沢 諭吉先生の理論を、 演説会などで語って広めていた

反面、朝鮮独立党の人達を利用して道案内させ、朝鮮半島を占領しようと計画した

り、軍資金をフランスに借款という形で提供を求めたり、 フランス海軍の派遣を求

めたり、どう見ても、 帝国主義の典型で、 土佐自由党は、口先で民主主義を叫び

人殺しを行う、凶暴な反社会性力であったと言われても仕方のない行動を行って

いたようです。

見方を変えれば、 福沢諭吉先生は、 土佐の 後藤象二郎や、板垣退助

三菱に利用され、 教育者という枠を越えて世の中に貢献するという考えを

利用されていたと言われても仕方がないありさまとなっていった様です。


  【 明日に続く。】