第1958回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1957話 甲申事変【こうしんじへん】 袁 世凱 将軍の決断の事。

                       2017年10月23日月曜日の投稿です。




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         【 博文局主任 井上 角五郎 先生 広島県福山市誠之館出身】


  【 前話からの続き。】

  
 「 大火災で被災した日本人や朝鮮人を分け隔てずに、日本公使館で支援を

 御願い出来ないか。」と、 日本公使館にやって来た、 当時の大朝鮮国の官吏

 で博文局主任という立場であった井上 角五郎先生に顔を見るなり、「井上

 さん、昨夜 火をつけたのは、貴方の描いた絵でしょう。」 と、 むっとした顔つ

 きで、食いついたのは、 竹添 公使であったと言われていて、井上先生は、

「 わしゃーー何もしらんのんじゃ、 どういうこときゃーーの。」と、 水を向けて聞い

て見ると、竹添 進一郎公使 曰く、 「慶應義塾の留学生グループが昨夜、武装決起

し、市中に放火を行い、大火となった後は、今度は貴方がやってきて、 焼け出され

た人の援助を行えと言う。

 慶應義塾では、放火をして、焼け野原にしておいて、 今度は、支援ですと。」 



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 と、そんな会話があって、 井上 角五郎先生がおおよその出来事を知ったのは、

 1884年 明治17年の12月5日の午前中であったそうです。

 竹添 公使曰く、「 日本人の避難民だけでも大変な事になっているのに、朝鮮

 人まで日本公使館としては面倒は見れない。」との立場であったのです。

 井上先生 は、「 えらいことになりましたなーーーそれはーー。」 とまゆを

 ひそめて、竹添 公使の顔を見つめたそうです。

 ここで、 2人が心配したのは、 大朝鮮国の首都 漢城が、新たな戦争の場に

 なって行くのではないかと危惧したようです。


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                 【 朝鮮駐留 清国軍 袁世凱 将軍 】


  袁世凱将軍は、朝夜が明けてみると、駐屯地に王宮を警備していた兵士が、

 逃げ落ちてきて、 口々に「 リーペン【日本人】に攻撃された。」 と語り、多いに

 驚き、 すぐさま偵察の兵士を多数周囲に放って、 漢城の動勢を探らせたよう

 です。

 当時、 「 日本人に襲われた。」 と言う報告を聞いて、 日本陸軍が隠密に

 どこかに上陸して、攻め寄せて来たのではないかと疑ったようです。


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    ところが、偵察の報告では、日本陸軍の正規部隊の姿はどこにも無いと

  いう報告ばかり、 そして、 それはワナではないかと疑ったと言われています。

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  当時、清国は、西太后が支配する時代で、 日本人に朝鮮が占領され、

 清国に逃げ帰ったら、その先どうなるか考えた場合、 必ずや、西太后に打ち首

 にされると悟り、 なんとかして早い内に、 漢城の王宮を取り戻そうと考えたよう

 です。

 こうして、 朝鮮駐留の 清国の袁世凱将軍の軍勢は、急いで戦支度をすること

 になって行ったと言われています。

 竹添 公使と、井上先生が心配したいたことは、 清国軍と朝鮮独立党の軍と

 武力衝突が発生し、漢城が戦場になって行くのではないかと心配していたよう

 ですが、 大朝鮮国の首都の漢城に戦雲が立ちこめていったようです。 


【 明日に続く。】