第1962回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1961話 甲申事変【こうしんじへん】 袁世凱将軍の打草驚蛇の計の事。


                          2016年10月27日金曜日の投稿です。




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  1884年 12月6日のお昼過ぎ、 大日本国の朝鮮公使 竹添 進一郎 公使

が、 昌徳宮に参内していた頃、清国の朝鮮駐留軍を率いる袁 世凱【えんせい

がい】将軍の軍勢が、昌徳宮の正門前の南側に布陣し、現地に緊張が走ったの

です。

  続いて、 清国の 呉 兆有 将軍の軍勢も西側の門の前に布陣し、こちらも

相次いで、「 朴 泳孝様、泳孝様、 清国の軍勢がやってきました。」と、昌徳宮

では、大騒ぎになって行ったと言われています。


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  袁 世凱将軍は、 馬上から、 昌徳宮、正面正門を眺めると、 「 まずは

 打草驚蛇の計じゃ。」 と叫ぶと、 使い番を呼び寄せ、「 その方、世の使者と

 称して、 昌徳宮に入り、国王に面会を申し込んでまいれ。」 と命令を出すと、

 使者は、 正面から進んで、下馬して 昌徳宮に入っていったそうです。

 
             打草驚蛇の計 【 だそうきょうだのけい】


  と言う計略は、 草むらを打って、 蛇を驚かして、様子を探る計略で

 この場合、草むらが 昌徳宮にあたり、 蛇 は、 朝鮮独立党と日本陸軍

 公使館守備隊であったのです。



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  清国の軍勢は、正門正面にずらりと並んで、銃口、弓矢を門に向けて、威嚇し、

昌徳宮の門番をしていた朝鮮人は震え上がったのです。

袁 世凱【えんせいがい】 将軍の使者は、 「 袁世凱将軍の使者としてまかり

こした。 国王にお会いしたい。」 と語ると、 そのまま進んで、二の門に進み

ここで、 金 玉均氏に面会したと言われています。



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                 【 応対した 朝鮮独立党 金 玉均 氏 】



 金 玉均氏は、「 騒々しい、何事か。」と、怒鳴るように言うと、 袁世凱将軍の

使者は、「 国王 に袁世凱将軍が目通りをしたいと申されております。」と言うと

金 玉均 氏は、 「 国王は今、日本公使と目通り中である、参内する場合は、

武器など置いて、 袁世凱 ひとりで参内するように伝えぃ。」 と叫んだと伝え

られています。 


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  清国の使者は、 そのまま、引き下がり袁世凱将軍の元に帰って、正面の

正門の門の内側の様子や、 その次の二の門の中に、日本陸軍がいることを

報告したと言われています。


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     袁世凱将軍は、「 ほうーーーー。」と、報告を聞くと、 「 よし、まずは

 大砲に弾を入れず、空砲を鳴らして、 相手を威嚇せよ。」と、命令し、 昌徳宮

 の正門に向かって、 空砲を発射して、大きな音を轟かせたのです。


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  その音は、昌徳宮全体に響き渡り、 朴 泳孝氏らに、威圧を与え、待機して

いた竹添公使にも 当然聞こえたのです。

 ここに至って、 竹添 公使は、近辺に清国の軍勢が展開し、 自分は包囲され

 ていることを悟ったと言われています。

 すると 守備隊の伝令がやってきて、「 申告致します。公使、正面に清国の軍勢

 が押しよせ、 攻めてくる気配であります。 以上 終わり。」 と報告し、ここで

 竹添 公使は席を立って、 「 まずいことになっとよ。」 と、顔の表情をこわば

 らせ、自らのおかした軍事的過ちに気がついたようです。



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こうして、袁世凱将軍の清国朝鮮駐留軍の軍勢と、日本陸軍日本公使館守備隊

は、昌徳宮の正門をはさんで、にらみ合いになり、 紛争に巻き込まれていった

といわれています。

清国人から見ると、 日本陸軍が反乱軍に応援に加勢に入ったと見え、 日本側

は、 朝鮮公使 竹添 進一郎公使が 参内するので 警護の為に、昌徳宮に

部隊が入ったのですが、 清国側は、 そんなことはどうでも良かったようです。

正門を警備していた 朝鮮人の門番は、門を閉ざして、震えていたそうですが、

別の西側の門の 朝鮮人守備隊は、清国と戦をしても勝ち目はないと考えた

のか保身に走り、清国の軍勢を招き入れ、 相手に寝返っていったのです。



   【 明日に続く。】