第1966回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1965話 甲申事変【こうしんじへん】演慶堂での口論の事。
2017年10月31日火曜日の投稿です。
【前話の続きから】
竹添 公使らと別れて、 兵力100名程度で、 塀や建物を盾にして
射撃をして、竹添公使が、朝鮮国王 高宗を連れて出て来るまで、時間を
稼いでいた、 仙台鎮台 第4連隊の 村上 正積 陸軍大尉は、いつまで
待っていても、 竹添 公使からの連絡が無く、 清国の軍勢は、ドラ鐘や
太鼓を鳴らし、 発砲して、日本陸軍を 狩りで獲物を追い立てるように、じわ
じわ押しよせて来たそうです。
イライラしながら、 数名の従兵と一緒に 朝鮮国王 高宗が籠もる演慶堂
に駆け寄って、門をくぐると、ちょうど竹添 公使と、肩から出血して負傷している
朝鮮独立党の 金 玉均 氏と口論の最中であったそうです。
どうしたのかと聞いて見ると、 国王 高宗の話では、 国王 高宗が、大日本国
に身柄の保護を求める勅令は、 金 玉均氏が強談の末、強要したもので、国王
の意思ではないことがわかり、 金 玉均氏ら、朝鮮独立党に騙されて、利用され
ていたことが判明したと、 ずいぶん腹を立てて、口論していたと言われています。
【口論の相手 朝鮮独立党 金 玉均 氏】
そして、どうして口論になっていたかというと、 竹添公使は、 日本公使館に
引き揚げると言い、 金 玉均氏らは、 ここにとどまって 一緒に戦えと言う。
見るに見かねた、 村上 陸軍大尉は、大きな声で、「 公使、 それどころでは
ありません、清国の軍勢が迫っています。 ここは、少ない兵力を1箇所に集中
して、相手の一点を集中射撃して、活路を開いて打って出て、抜けるしかありま
せん。
もう 時がありません。 」 と言うと、 竹添 公使は、 「 東側に打って出て
日本公使館に戻る、 急いで撤退する。」と、語り、日本陸軍は、演慶堂を出る
事になっていったようです。
【 国王 高宗に したがって 行動をともにした 洪 英植 氏 】
金 玉均氏は、国王 高宗に一緒に 仁川に来るよう要求したそうですが、
国王 高宗はこの要求を拒絶し、 そばにいた 洪 英植 氏らが、「 国王陛下は、
我等がお供するので、 そなたらは、負傷している 朴 泳孝 氏らを連れて、ここ
を立ち去るが良いであろう、 早くしないと清国の軍勢に包囲されて、 逃げられな
くなるぞ。」と語り、 金 玉均氏らは、 負傷者や、 土佐自由党の残余の隊士ととも
に、日本陸軍の後に続いて、 演慶堂を撤退したと言われています。
日本陸軍の公使館守備隊は、50名ずつ、3隊に別れて、 小銃を構えて、
お互いを援護しながら、 残心を示しつつ、 竹添 公使らを警護して昌徳宮
の東側から撤退したのは、15時から16時の間であったと言われています。
少しして、演慶堂にやってきた 清国勢は、国王 高宗を捜したのですが、
まったく 高宗らの姿が無く、 袁 世凱 将軍 に報告されたそうです。
袁世凱 将軍は、 「国王が仁川に連れて行かれ、 日本側の手に落ちる前に
こちらに取り戻すのだ。」と、命令し、 逃走したと思われる昌徳宮の東側を
中心に、一斉捜索が行われる事になっていったそうです。
【 明日に続く。】