第1980回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】


第1979話 甲申事変【こうしんじへん】千歳丸の船長 辻 勝三郎の一喝の事。


                        2017年11月14日火曜日の投稿です。




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                      【 明治初頭の 千歳丸 】


【前話の続きから。】


  1884年 明治17年12月11日、 当時の大日本国の大朝鮮国公使であった

竹添 進一郎公使は、 清国のお雇い外交官のドイツ人 外務協弁 メレドルフ

の脅迫に屈し、 しぶしぶ 千歳丸の臨検を認める回答を千歳丸の甲板上で行い、

清国兵が、臨検を開始しようとしたその時、 千歳丸の船長 辻 勝三郎氏が、「 ま

てぃーーーぃ。」と、雷が落ちるような大声で制止し、 なんと、竹添 公使をわざと

人前で罵倒し、叱咤したと言われています。

 井上 角五郎先生の生前のお話しでは、「 竹添さん、 あんた、公使なので、

あんたの顔を立てて 黙って見ていたが、 この千歳丸は、外務省の御用船

でもなく、日本海軍の徴用船でもない、あんたは、ただの船客であって、 この

千歳丸のことは、 船長であるわしが決定する。 いいなーーっ。」 と言い放つと、

 数歩前に進んで、メレンドルフ外務協弁に 強談に及んだそうです。


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  【 大朝鮮国 博文局主任 井上 角五郎先生 広島県福山市誠之館出身】


 
それは、それは、見ていたら冷や汗物の命をかけた交渉であったそうです。



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 小銃を構えた清国の兵士が、すべての銃口を 辻 勝三郎 船長に一斉に

向けて威圧する中、 辻 勝三郎 船長は、 メレンドルフ 外務協弁に対して、

「 臨検は御免被る。」 と、 大声で叫び、 次の様な話を行ったそうです。


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               【 ゲオルグ フォン メレンドレフ 外務協弁 】


  「 貴殿も 数年前まで ドイツ帝国の北京公使館の副領事をしていたのなら

 国際法というのをご存じかと思うが、 国際法では、その国の司法権が及ぶのは

 海岸までで、海上では、 その船の船籍がその船の司法管轄権であり、その

 権利は 船長である私が行う事であって、断固拒否する。」 と、たんかををきると

 メレンドルフ は、フン と言うような顔つきになり、「 アナタハ、コウショウデキル

 タチバニ アリマセーン、 ミナサーイ、 ミナゴロシニナリタイノデスカ。」 と言って

 右手を上に上げ、 一斉射撃命令を出しそうになったそうです。



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              【 日本海軍 日進  艦長 尾形 惟善 海軍少佐 】


  すると、千歳丸の船長の辻 勝三郎氏は数歩前に進んで、 ずぃぃっと

  メレンドルフ 外務協弁 を にらみつけ、 右腕を 日本海軍の日進を指さし、



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  「 それは、われわれのセリフです。 ここで、国際法違反行為を行い、大日本国

  と開戦に及ぶ気ですか、 貴方は、祖国、大ドイツ帝国の魂を清国人に売り、

  そして、身勝手にも、ここ仁川港で、 元外交官でありながら、 国際法を犯し、

  大日本国と開戦に及び、 単独行動に走り、 北京政府はなんと判断されるで

 ありましょうか。」 と、 低い声ですごんだそうです。


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 ちょうどその時、 運良く、千歳丸の側の港の波止場に日本海軍の陸戦隊が

到着し、 清国人達に無言の圧力をかけたそうです。

 しばらく無言で考えていた メレンドルフ 外務協弁は、 面白くなさそうな不満

 そうな顔をして千歳丸の甲板から引き揚げていったと言われています。


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  こうして、 千歳丸の船長 辻 勝三郎氏の ふんばりで、なんとか、清国兵を

 追い払い、 朝鮮独立党のメンバーの幹部達、9名は、捕縛を逃れ、長崎港に

 向かって 仁川港を出港していったそうです。

 当時の国際法では、海上の民間の船舶を臨検したり、人を捕まえたり、危害を

加えることは禁止されていて、例外として、 その国とその国が、宣戦布告を行った

後、 その国の船舶を攻撃したり、臨検したり、 そういうことは認められていたの

です。

つまり、 大日本国に宣戦布告し、戦争状態となれば、千歳丸の臨検や、船客の

捕縛は国際法上、合法と言う事になるのですが、当時、外務協弁 メレンドルフ

にはそう言う権限は与えられておらず、 軍規違反の単独行動となる為、

処罰の対象となることを恐れ、 引き下がったようです。 
  



    【 明日に続く。】