第1991回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1990話 甲申事変【こうしんじへん】 土佐自由党義勇兵部隊の事。






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                     【   高知県  高知城 】


  【 前話の続きから。】


 
    朝鮮公使 竹添 進一郎公使が、命をかけて 大朝鮮国の首都 漢城

 出向いて、 大日本国の国書を提出していた当時、 大日本国の明治政府を

 震撼させる事件が起こっていったのです。



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                【 三菱商会  岩崎 弥太郎 氏 】



  それは、 当時の 三菱の岩崎 弥太郎氏らが、 朝鮮半島での 同社が

 支援していた決起が失敗し、 これらの朝鮮独立党への支援や、 フランスに

 軍事協力を求めて、 借款を 土佐自由党の 後藤象二郎 公と一緒に求めて

 いたことが 公になる事を恐れ、 板垣退助 公 らと打ち合わせの上、自分達の

 都合が良い話しに世論を操作しようと、 各新聞社などに、 日本人が 朝鮮の

 漢城で清国の軍勢に 無実の人達が大勢殺害されたという情報を意図的に

 流していったのです。


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     土佐自由党の 板垣 退助 公らは、 政府の弱腰を批判し、 自由党

  への 支持を広げる道具に、 甲申事変の 被害者の日本人を利用し、尚且つ、

  後藤 象二郎公が朝鮮半島に送り込んでいた 土佐自由党の抜刀隊士らの

  行為を正当化するため、 言葉をならべて、 都合の良いお話しだけ、ばらまい

  て行き、 当時 朝鮮半島まで取材に行くことはなかった 新聞社は、 現地の

  情報と称して、 これらの土佐自由党の 現地最新情報を そのまま 記事に

  していき、 日本人が虐殺されたことのみ、 報道されていき、 明治政府の

  和平工作を批判する声が高まり、 戦争を行えば 活躍して 昇進が出来ると

  言う名誉欲にかられて、 陸軍の右派や、海軍の右派の将校達が、 一斉に

  朝鮮武力征伐を叫んでいったと言われています。



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                   【 元 土佐藩大目付 片岡 健吉氏 】


  このような一方的な報道を読んだり、人づてに聞いたりした、 旧土佐藩

 メンバーは、「 朝鮮半島で清国兵に殺されていった日本人の敵をとる。」と、

 称して、 「土佐自由党だけで、最悪の場合 出兵して、清国人に天誅を加えん。」

 と叫んで、 旧土佐藩 大目付 の 片岡 健吉 氏を中心に、義勇兵の募集が

 始まり、 これらに同調する 愛國者や、殺された人達の親族、縁者などが

 これらの義勇軍に参加を表明していったのです。



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   こうして、明治18年1月、 高知県だけでなく、至る所で、 明治政府を

 批判し、 朝鮮半島に出兵して、日本の領土にしていこうという、一方的な

 世論が高まっていき、 西日本では、自由党の機関誌、 自由新聞などが

 一方的な宣伝を繰り返し、 東日本では、慶應義塾の 時事新報 なども、 

 朝鮮独立党の慶應義塾 門下の朴泳孝氏や、金 玉均氏らの話から記事

 を作成し、「清国を武力討伐せよ。」という記事を掲載し、 批判を強めていった

 そうです。



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  当時の 太政官内閣府に相当】 の参議であった、伊藤 博文 公は、この

ような朝鮮半島武力征伐論に対して、 慎重な立場を取り、「 清帝国はフランス

との戦争に敗北し、弱ってはいるものの、 とてつもない 広大な領土を有し、大き

な国で、大日本国が、 その局地部分で、戦争に勝ったとしても、一時的な勝利に

しかならず、 その占領地の維持は難しいと考え、 また、 大日本国は外貨準備高

が低く、 長期の戦争を行う国力はどう見ても現状無いと申立て、 これらの 過激

な 朝鮮征討論を否定し、 煙が出たら 消していく行為を行って行ったのです。

つまり、軽はずみに戦争を叫ぶ人達を、戦争のその先に起こるであろう事を

予測し、憂いて、政府として言論抑制していったのです。 




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  ところが、これらの行為を逆手にとって、 太政官 参議を追い出された

  大隈 重信 公らは、 「言論弾圧、 自由民権の侵害。」 などと、叫んで、

  政府の批判を繰り返し、 そして、これらの話を聞いて、 全体を見渡す

  能力のない、 情報が限られた人達が、 政府を批判していったのです。



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   政府を批判していた人達は、 実際は 愛國者で、 自分のことより社会の

  事を考え、行動する人達であったのですが、当時、 情報が限られていて、

  間違った、一方的な報道、 つまり 「 甲申事変で 清国軍に 罪の無い 

  日本人民間人が36名 虐殺された、 2年前も 同様の事件があった、

  政府は 損害賠償請求の申入れを行い、 賠償の条約を締結したと言うが

  実際、 朝鮮から 賠償金の支払いは支払われておらず、放置されている。」

  と、滞っていることを列挙し、 「 もう かんべんならん。」 と、語気を強めて

  いったそうです。



  【 明日に続く。】