第1993回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1992話 甲申事変【こうしんじへん】 左議政 金 弘集 氏の決断の事。


                          2017年11月27日月曜日の投稿です。




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  【 前話の続きから。】


  1885年 明治18年1月5日頃、 清国の軍勢に 大朝鮮国の首都 漢城

は制圧され、 当時の朝鮮人の人達は、 清国と、仁川を占拠している大日本国

朝鮮半島で戦争を始めるとの 噂が飛び交い、 新春早々大きな騒動になって

行ったのです。



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    閔妃の一族の 閔氏の一派の重臣 6名が 甲申事変で殺害され、急遽

  集まって作られた 大朝鮮国の政府関係者達は、清国が大日本国と戦争をして

  勝った場合、 いまよりも強烈に清国人が支配を強めてくるに違いないと思い、

  逆に、清国が負けて、 大日本国が勝利しても同様で、朝鮮半島が大日本国の

  領土になって行く事が懸念され、 それを防ぐ為に、大朝鮮国が主導して大朝鮮

  国の都合のよい形で 物事を治めていくことが大切であると考えられるように

  なっていつたのです。

  これらの事を外交で行うにあたり、 何を行うにも当時は 清国の袁世凱将軍の

  許可が必要であったのです。

  そのような事情で、 当時の大朝鮮国の政府の左議政 金 弘集氏らは、

  清国の 朝鮮駐留軍の司令官 袁世凱将軍を訪ね、 大日本国との和平交渉

  を大朝鮮国の政府が行う事を願い出たそうです。



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   袁世凱 将軍は、 清国の自分の許可を得ない決定を 大朝鮮国の政府が

勝手に取り決めることを禁止し、 監視の目付役をつけることを条件に、 金 弘集

氏らの 大朝鮮国の政府に 大日本国との和平交渉を許可したそうです。

 どうして許可をしたかというと、 清国も、大日本国との戦争をためらい、出来れば

それを避け、 何事も穏便に事を済ませたかったからと言われています。 

 しかしながら、 清国としては 体面があり、 清国の顔を潰すような和平は

決して認めないと釘を刺したと言われています。



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     袁世凱将軍は、 和平会議の監視の目付役として、 ドイツ人の清国の

  お雇い外国人 メレンドルフ を指名し、 その上に 清国から数日前に漢城

  に到着した、清国全権の 北洋副大臣 呉 大徵 氏を責任者として、大朝鮮

  国の政府に、独自に交渉は許すが、 すべて、メレンドルフを窓口として、



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                  【 清帝国 呉 大徵 北洋副大臣 】



  呉 大徵 北洋副大臣の許可を得て、意向に沿って 外交交渉を進めるように

  命令を出したと言われています。



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    1885年 1月初旬  大朝鮮国の政府は、 形だけの物となり、朝鮮人

  朝鮮人で外交を勝手に行う事も許されず、 首都を 清国に占領され、そして

  西の仁川の港は、大日本国に占拠され、 当時の朝鮮の人達は、王室の安泰

  を第1に、 難しい外交交渉を行う事になっていったのです。



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                              【 金 允植 博文局総裁 】



       当時、和平を仲介していた 金 允植 総裁は、 井上 角五郎先生に、

  日本側に対しての橋渡しを行うよう依頼し、 清国も、大日本国も、大朝鮮国

  も丸く物事が終わるように、清国の顔色を見ながら外交交渉を行おうとして

  いったそうです。

  
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 井上 角五郎先生は、「 このまま朝鮮半島に外国の軍勢がたむろしていると、

 第2、第3の事件が起きていきます。

 今後の事もあるので、外国の軍勢はすべて、 日本も清国も引き揚げてもらい

 朝鮮人の手で、 国を統治していく事がなにより肝要です。」 と、意見を述べると、



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                      【 金 晩植 氏】

「 貴公の言う通りだが、それは理想であって、 今 そのような事を袁世凱に言

えば、貴公だけでなく、 ここにいる我々すべてが 袁世凱に 首をはねられてし

まう。」と、 正論だが時勢に反すると、多いに反対したそうです。

 井上 角五郎 先生は、「 やってみないと わかりません、興亜の為に小生が

微力ながら 大日本国の軍勢の撤退、 清国の軍勢の撤退について下話を行って

参りたいと思います。」 と、 お話ししたと言われています。


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    朝鮮の当時の政府関係者は、清国の軍勢にそれらの行為が知れると、

  捕らえられ、謀叛の疑いで処刑されることを恐れて、 同調をしても、自ら関与

  しようとはしなかったそうです。


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  清国人に捕まると、 自分だけでなく、家族、親族まで 処刑されるのを恐れて

  いたのです。

  こうして、 自分達で 自分達の国を防衛できない国は、外国の軍隊が

  首都や、主要都市を占拠して、 互いに反目し、 自分達民族でなにも決定で

  きなくなって行ったのです。

  今から130年程前の出来事ですが、 これらの出来事を参考にして、同じ

  ような事になっていかないように、 用心しなければならないようです。


  【 明日に続く。】