第2012回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第2011話 甲申事変【こうしんじへん】 建築家 セラティン サバティンの事。
2017年12月16日土曜日の投稿です。
【 前話の続きから。】
1885年 明治18年4月18日 大日本国の筆頭参議 伊藤 博文 公は、
清帝国と、大日本国は、弱っている大朝鮮国をとなりで支え合い、大日本国は、
率先して 朝鮮半島の平和の維持に協力したいと表明し、 天津条約という
は、撤退することになって行ったのです。
【 当時の 清国、大日本国、閔氏朝鮮軍の布陣図 】
の官僚は、多いに 喜び、 伊藤 博文 という人物を 今後も利用できると考え
たようです。
そして庶民の朝鮮人は、これで戦がなくなり、清国人の横暴が少なくなると
名前が知られるようになっていったのです。
わかりやすく言えば、 占領軍の清国軍を、よその国の宰相の伊藤 博文公が
言葉で追い払ってくれたわけですから、戦後の日本で言えば、 進駐軍が戦争を
することなく話し合いで引き揚げたと表現するか、現在で言えば、米軍の基地が
すべて撤退させらて、日本に返還されたとか言えばわかりやすいかと思います。
「 お前達が、ちゃんと仕事をしないから、 朝鮮人がロシアと手を組んで、清国
を朝鮮半島から追い出そうという陰謀が進んでいるという、 絶対、 調べ上げて
関係者を始末しろ。」
「 そうでないと、 お前達も、この吾輩も、 首が飛ばされることになる。
よいか、 かならず探し出して、根絶やしにしろ。」 と、 こんな感じで隠密に
ロシア公使館を中心に内偵を始めたようです。
ところが、 どう言うわけか、 ロシア公使の ウェーバー公使本人は 怪しい
行動はとらず、皆目、足跡がたどれなかったようです。
清国の諜報機関は、 ロシア公使本人だけでなく、出入りするそのすべての人物
を隠密に尾行し、徹底的に捜査すると、ある建築家の存在が捜査線上に浮かんで
きたと言われています。
【 建築家 セラディン サバティン ウクライナ人 】
その人物は、セラディン サバティン 言う ウクライナ人であったと言われています。
日本人は、 自ら朝鮮半島の文明開化を推し進めたと 語る人が多いですが、彼は
【 朝鮮国のロシア公使館 セラディン サバティン 設計 】
建築物を建設していったのです。
そして、 当時の新築落成となった ロシア公使館の設計施工も彼の手による
建築物であったのです。
王族や貴族の建物が 瓦葺き、 庶民の家はバラックのような そんな当時の
人も見た人が、 あこがれを感じる優れたよい雰囲気の建物であったのです。
ところで、 ロシア公使館にときたま、出入りし、 だれと面会しているのか
清国の諜報員が調査したところ、 なんと、 ロシア公使ではなく、 公使婦人と
面会を重ねていることがわかってきたのて゛す。
袁世凱将軍は、 ロシア公使 婦人が怪しいと考え、彼女の動きを悟られ
ないように隠密に監視するようになって行ったのです。
【 外務協弁 メレンドルフ ドイツ出身】
すると、驚いた事に、清帝国のお雇い外国人外交官の外務協弁
メレンドルフ の存在が浮かんできたのです。
外交官で高給で雇い、朝鮮国に派遣して、 清国側の人間と考えていた、ドイツ人
メレンドルフ が、何と、 ロシア公使 婦人と、建築家 セラディン サバティンと、
時々密会していることを知ったのです。
ロシア公使婦人は、 ドイツ人で、 ドイツ語で3人とも会話しているので、何を
語っていたのか わからなかったそうですか、 袁世凱将軍は、 多いに不審感を
持つことになって行ったと言われています。
【 明日に続く。】