第2013回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2012話 甲申事変【こうしんじへん】異国の地での故郷への恋慕の事。


                        2017年12月17日日曜日の投稿です。


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   【 前話の続きから。】


  すこし時代は進んで、昭和21年 私は、パージに指定され、 パージというのは

今現在知る人は少ないですが、 戦争犯罪人に指定されたことを意味します。


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 国際法違反という罪名で、国際軍事法廷に起訴され、もう少しで死刑になる

 ところであったのです。


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   その犯罪行為というのは、 国際法で定められた、宣戦布告を行わずに、

 パールハーバーを攻撃し、 多くの罪の無いアメリカ人の生命を奪い、負傷させ

 たという容疑であったのです。



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   私の身を守ったのは、 海軍兵学校で悪戦苦闘して会話を覚えた英会話

 の知識であったのです。

 なんとか、 放免となったものの、 公職追放処分を受けて、収入の道を断たれ

 当時、酒に溺れ、生きていく道が見えなくなって行ったのです。

 そして、 金儲けの作戦を立案し、 実行して行ったのですが、 なにをやっても

 うまくいかず、ーーーーー。 海軍兵学校では、女の事と、金儲けの商売の

 授業はなかったのです。

 そんなうだつのあがらない、物資不足の戦後の混乱した日々に、1人の

 アメリカ人の男性と出会ったのです。


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    彼は、昭和17年 アメリカ陸軍航空隊の搭乗員の1人で、東京初空襲

   に出陣し、 捕虜となり、 大変な日々の4年間を収容所で過ごした米国人

   でありました。




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  私は、彼とお話ししていく間に、 平和というのは 口で叫んでいただけでは

維持が出来ず、 戦争の殺人の道具、 つまり、核兵器や、航空機、戦車や、艦船

などの武力を保持することで、相手がそれを恐れて抑止力となり、 戦争が回避され、

平和が保たれるのではなく、 人々と 膝を交えて、語り合い、お互いを国境や 

人種を越えて、周囲の人を思いやり、親切心を持つことで、戦争が抑止でき、

平和の礎になる事を悟ったのです。

そして、宗教とは、人を思想で支配する道具ではなく、 人々の心の支えである

べきだと考えるようになっていったのです。


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   私は、イエスの僕となり、 いろんな海外に出向いて、人を大切にして、周囲

 の人々を思いやる心を説いて歩くことになって行ったのですが、 日本という国を

 遠く離れて、遠い海外での食生活、 言葉の違う人達と過ごしていると、 それは

 それは、言い表せない寂しい思いをしたこともあります。

 そんな遠い異国の地で、日本人のご婦人にお会いしたり、 日本語で、「 はじめ

 まして。」と、語りかけられると、 それはそれは、 うれいしことで、 「 私の手料理

 ですよ。」と、日本の手料理などが提供されると、 思わず嬉しくなってしまうのは、

 人としてごく当たり前のことでした。

 

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       【 外務協弁 パウル ゲオルグ フォン メレンドルフ  ドイツ出身 】





  話は元に戻って、 1885年 明治18年の4月後半、 外務協弁 メレンドルフ

さんも、私と同様な思いで、 故郷のドイツ帝国から遠く離れた、朝鮮半島の地で

ドイツ人女性と出会い、 そして、 久々に、 お国のドイツ語で挨拶を受け、うれしく

なり、 ついつい 長話をするようになっていき、 「 ドイツのルールの御菓子です

のよ。」と、 手作りの御菓子や、お茶を提供され、 ついつい 心を許していって

しまった女性、それが、  朝鮮のロシア公使 カール イバノビッチ ウェーバー

公使のドイツ人女性の婦人であったと言われています。


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   初めは、世間話や、ドイツ帝国の故郷のお話しなど、 ドイツ人同士のお話

しだったようですが、「 今度、うちの主人が、ロシア皇帝から、公使館を建設する

よう命令を受けましたが、 朝鮮の建物は、どうも いけませんわ。」 などと、相談

を受け、 「 うーーん、 早く言ってくれれば、協力できたのです、 私がよい人

紹介しましょう、 私が呼び寄せた建築家ですが、年が若いですが、良いセンスを

していて、 なかなか良い建物の図面が描ける人物です。」と、 彼女に紹介した

のが、 ウクライナ人の建築家  セラディーン、サバディン氏であったそうです。



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         【 建築家 セラディーン サバティン 氏 ウクライナ出身 】


  こうして、ロシア公使のドイツ人婦人と、 外務協弁 メレンドルフと、建築家

 サバティンは、初めは仕事の打ち合わせや、用事で 会合を行っていたよう

 ですが、 サバティン氏の図面を基に建設された ロシア公使館が出来上がり、



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  周囲の評判がよくなり、その後、 メレンドルフさんが、立場を利用して、営業し、

 西洋建築の仕事を仲介し、 ロシア公使のウェーバー公使も仕事の仲介を行う

 ようになり、 出来た仕事を、サバティン氏が施行して利益を分配していくように

 なっていったようです。


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   このような、 メレンドルフ 外務協弁の 行動を報告を受けた 袁世凱将軍は

彼に忠告など行わず、 監視を続け、野放しにしていたようです。

野放しにしていたのですが、 前話で紹介した、 ロシア帝国の 巨文島割譲や、

元山港の秘密協定などの事件が発生し、 彼を疑いだしたようです。




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         【 大ドイツ帝国 北京公使館 マックス フォン ブライト 公使】


 メレンドルフさんが、天津のドイツ副領事の職を追われたのは、 ドイツ帝国

外交官の立場を利用して、 ドイツのクルップ社の営業マンのような商取引を

清国の李鴻章らと行うようになり、 ドイツの兵器を 清国に売るようになって


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行った、 そして、それが どんどん幅が広がっていき、 フルカン社の兵器なども

売るようになって行き、 マックス フォン ブライト公使から見咎められ、解雇

となり、 清国の李鴻章に雇われたというのが当時の彼の立場でした。

そういう事情で、 袁世凱将軍も、 北洋大臣 李鴻章の使用人を取り押さえて

取り調べも出来ず、 ロシア公使婦人も、国際法に守られて、取り調べが出来な

かったようです。


 【 明日に続く。】