第2023回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2022話 甲申事変【 こうしんじへん】 露朝密約事件前夜の事。


                        2017年12月27日水曜日の投稿です。




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                     【 駐日 ロシア公使館 】


   【 前話の続きから。】


    当時、ロシア公使館から、外務協弁 メレンドルフさんが読みやすいように

 ドイツ語で書かれた文章を持参した人と言うのは、 後に、極東で秘密外交で

 活躍して行く事になる、 東京の駐日 ロシア公使館 書記官 アレクセイ、

 ニコラビック、シュペイエル と言う人物であったと言われています。

 彼が持参したのは、 ロシア帝国の国家としての希望が書いてあったそうです。

 それは何かと言うと、 おおよそ こう言う内容であったそうです。



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  一年中、 海が凍らず、 周囲に大きな流氷が無く、 そして、飲料水や、

 石炭の補給が出来る港と、その海域の使用権がほしいと言う内容であった

 と言われています。

 みなさん、 あの 豪華客船 タイタニック号が沈没した原因は夜間、氷の塊、

 つまり大きな流氷に衝突したからだと言われています。

 氷というのは、艦船の航行には 大変危険な塊というのは 今も同様なのです。




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   みなさんでしたら、どこまで考えて、相手の考えを見抜かれますかーー。

  どうして、 一年中、凍らない港が当時のロシア帝国に必要だったのでしょうか、

  ロシアという国家は、 一部の人は 西洋社会と同程度のレベルの食生活

  を行い、 武力を持って、 大きな力を持っていたのです。

  それは、比較的気温が高い、農業生産が出来る地域の人達でした。


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   ところが10月から翌年の5月まで、8ヶ月間は寒さで農業も出来ず、その

 広い国土のほとんどが不毛の白い世界であったそうです。

 
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   ロシア人は、 農業に適した地域に軍事侵攻し、 ここの農地を取り上げ、

 ロシア人を入植させ、 ロシア領にしていったのです。

 そして、反対勢力や、征服した土地の人達を「 シベリア送り。」と言って、未開の

 極寒の地に無理矢理武力で脅迫して強制連行し、木を伐採し、鉄道を敷設して

 どんどん 開墾を行って行ったのです。

 開墾というと、聞こえがよいですが、 死の労働であったのです。


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     それは それは、 こき使われて、栄養不足と、凍傷、 そして 極寒の地

   で 多くの人がこごえ死んでいったのです。

   そして、死んだら、 ゴミのように捨てられ、 次の人達が連行されてくる

   そして、また、死んでいきーーーの繰り返しであったのです。


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    時には、逃走して 途中で凍死したり、 反乱を起こして、 武力鎮圧されたり

    それは それは、 今は知る人が少ないですが、 極悪非道が続けられて

    現在に至っています。

    まさに 氷の地獄の世界であったと言われています。 


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    みなさん 国へ、いつかは戻れると信じていたようですが、 総じて、

  ウクライナや、バルト諸国や、クリミヤ半島などから、連行されてきた人が多

  かったと言われ、 ちょうど 大正時代は、チェコ人の人、スロバキア人などが

  殺されていったと言われています。



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  農産物もないのに、鉄道を敷いて 何を港にもっていこうとしていたのか、

 それは、大半が 豊富なシベリアの木材、そして毛皮などであったと言われてい

 ます。

 囚人を動員して、 これらを運搬し、鉄道に載せて、極東の港に持ち込んで、

 船に乗せて、 輸出して、一儲けしようと考えていたというのが、当時のロシア

 帝国の外貨獲得の計算であったようです。


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   何しろ、 囚人は 使い捨ての捨て駒で、 労務費はごくわずか、 死んだら

  西から、 その地域の人達の土地を取り上げて、 ロシア人を入植させ、強制

  連行してくるわけですから、人手には苦労はありません、 木材も、誰の物でも

  ないので原価 0ルーブルであったのです。


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  当時の言い伝えでは、この東京での密約で、 鉄道を元山港まで伸ばして、

 ここまで物資を陸路で運び、 元山港と その周辺海域をロシアが租借し、

 ここを拠点として、世界に物資を輸出するというお話しであったようです。



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    そして、 その事業が軌道に乗って 順調に推移するようになると、元山

  から 当時の大朝鮮国の首都 漢城まで鉄道を敷いて、 ロシアから シベリア

  を横断して、 その出発点を いずれは仁川港、 そして 釜山港まで鉄道を

  伸ばして、 ロシア帝国と、大朝鮮国の合同の銀行を設立し、商売を盛んにし、

  両国が発展していこうという内容の文章であったと言われています。



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  この内容を聞いた、 当時の全権代表 徐 相雨 氏は、「 いゃーーー、

 これはすごい、 このお話を国に持ち込めば、 国王も王妃もきっと、ご満足され

 るに違いない。」と、 外務協弁 メレンドルフさんに語りかけたと言われています。



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  メレンドルフさんは、 徐 相雨氏に、「 もう一つ 大朝鮮国として 条件を提示

 しましょう。」と語り、 彼が、 びっくりした顔で、「 何を提案するのか。」と尋ねる

 と、 「 閔妃様から、 軍事顧問の派遣と、軍事援助の話をまとめてこいと言わ

 れていマース。」と語り、 徐 相雨 氏は、「 おーーーっ そうであった、そうで

 あった。」と語り、ロシア側に軍事援助を求める話が進んで行ったと言われて

 います。

 東京を舞台に、 大朝鮮国とロシア帝国の密約が進められていったのです。


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   実は、後のお話しですが、ロシア帝国は当時、朝鮮人を利用して、港を

 使用させ、 朝鮮半島に鉄道を敷く協力をさせて、その後、 朝鮮国王を攻めて

 朝鮮半島を占領し、 朝鮮人をシベリア送りにして、 温暖な土地に、ロシア人を

 入植させて、 ロシア人による農業生産を計画していたそうで、 ロシア人は

 恐ろしいですね。

  一歩間違うと、 日本列島も同様になっていたのかも知れません。


 【 明日に続く。】