第2026回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第2025話 甲申事変【こうしんじへん】 朝日借款交渉の事。
2017年12月30日土曜日の投稿です。
【前話からの続きより。】
1885年 明治18年に行われた、大朝鮮国の特使による「 遺憾の意の表明。」
の後の翌日、外務省で行われる事になっていった、 大朝鮮国の政府の申し入れの
要件事に、当時の太政官が回答を行った事を、当時の外務卿 井上 馨 公が
直接、徐 相雨氏と、 外務協弁 メレンドルフ 達に申し伝えたようです。
【 イギリス軍が 武力占拠した 巨文島 】
議題の1番初めの 巨文島のイギリス海軍の占拠については、大日本国と
しては、先の天津条約に基づいて、清国と協議を行い、協調して外交によって
問題を解決していくと言う太政官の方針が伝えられたそうです。
それから、 巨文島を占拠した、イギリス海軍のハミルトン 司令官が、自らの
名前をつけて、 ポート ハミルトン と巨文島の名称変更を行ったことには、反対
し、 大日本国政府として承認はしないことを回答したそうです。
国王 高宗の命令により、 逮捕捕縛の要請があった、朝鮮独立党の
メンバー、特に、 金 玉均の行方については、 大日本国政府は把握して
おらず、 大日本国内に存在しないとの立場であって、 それ故、 あえて
捜査は行わないと回答したそうです。
それから、 先の天津条約で、清帝国との取り決めで、大日本国から、軍事
支援や、 軍事教官などの派遣は行えなくなっていて、 同様に 大日本国から
借款、 【 しゃっかん お金の貸し付け】は行えない、行う場合は、清国と協議の
上、 清帝国の承諾の後、 これを行うとの回答を行ったそうです。
大朝鮮国の政府からの 損害金の支払いの繰り延べの申し入れについては、
10年をめどに、完済を求めるとの 回答であったそうです。
当時の外務省の回答は、 事実上、 返済の猶予は認めるが、新たな資金の
貸し付けや、 軍事教練の協力、 武器弾薬の提供などは出来ないとの回答で
、大朝鮮国の政府の申し入れには、門前払いの回答であったそうです。
実は当時、大日本国の大蔵省の財政状況は厳しいもので、対外債務が膨らみ
破綻がささやかれていた当時、 新たな資金を、それも 返済のめどが立たない
大朝鮮国の政府に貸すと言うか、返済能力がないので、 お金をあげるわけに
はいかなかったそうです。
大朝鮮国の政府の外交使節としては、 財政が厳しい中、外国に出かけて
なにも成果がないでは、メンツが立たなかったようです。
長崎では、イギリス海軍に 適当にあしらわれ、 また 東京でも何も得る
ものが無かったのです。
そのような事情で、なんとか ロシア帝国の公使館と話をつけて、1つだけでも
外交成果を得ようと、 秘密交渉に力を入れていったようです。
【 明日に続く。】