第2034回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第2033話 甲申事変【こうしんじへん】 朝鮮独立党の分裂のこと。
2018年1月7日日曜日の投稿です。
【 福沢 諭吉先生の家に転がり込んだ 朝鮮独立党の面々】
【 前話の続きから。】
朝鮮半島で、外務協弁 メレンドルフ が失脚した頃、 日本では、朝鮮独立党
がなりをひそめていたのですが、 動き出していったのです。
当時、 福沢 諭吉先生の紹介で、 神戸に拠点をといっても、民家を借りて
ここを事務所として、 いずれは朝鮮半島に戻って、もう一度 自分達の政権を
樹立しようと思いを巡らせていたようです。
【 金 玉均 氏】
当時、1番身分が上であった、 朴 泳孝 氏が 甲申事変で 足に銃弾を
受け傷が完治していなかったようで、 その行動は、 金 玉均氏が中心となり、
当時、彼が行った事というのは、 まず、 朝鮮独立党の 生活費を稼ぐことで
あったのです。
福沢 諭吉先生の紹介と言っても、借家の家賃、 そして 9名の生活費というと
毎月 費用がかかったのですが、 身1つで逃げてきた彼等は、蓄えもなければ
何も もっていなかった、 ある物は、身につけた知識だけであったのです。
朴 泳孝氏は、寝間で 絵や書を描いて、 これを鄭 蘭教氏が売って歩いたり
厳しい生活が続いていたようです。
そこで、単身、神戸から 東京に上京して、 外務省を訪れ、面識のあった
井上 馨 外務卿に面会を求め、 朝鮮独立党の9名の生活費の補助を求め
たそうですか、 外務省に面会を断られ、 追い払われたそうです。
外務省からすると、迷惑行為であったようです。
金 玉均 氏とは、 朝鮮国の使者として 歓待していたのであって、亡命者の
犯罪人となって、日本に逃走してきた当時、 外務省からすると 用事のない
外国人の1人に過ぎなかったのです。
このような中、 李 圭完 氏 23才が、中村 梅子という人と結婚する事となり、
その父親の中村 一氏が、 アメリカ合衆国の日本公使館の職員であったようで
この人の世話で、 アメリカ合衆国に行って、出直そうという人達が出て来たの
です。
当時彼等は、 清国の袁世凱将軍によって、 家族、親戚などすべての一族を
殺害され、 身1つで、日本の福沢 諭吉先生を頼って、 逃走してきたのですが、
日本に このままいても、 将来の展望が開けないと考える人が出て来たのです。
金 玉均氏は、 あくまでも日本にとどまって、 朝鮮半島をうかがい、 機会が
あれば 国に帰国して、 清国人を追い払い、 本懐を遂げようと主張し、
【 アメリカ合衆国 移民を唱えた 徐 載弼 氏 】
徐 光範 氏と、甥の 徐 載弼 氏らは、 日本政府にも見捨てられ、現状から
考えると、アメリカ合衆国に渡って、 西洋の学問を身につけ、時期を待ったほうが
賢明であると言う意見が出て、 多いにもめることになって行ったようです。
そして、 朝鮮独立党は、 日本に残るメンバーと、 アメリカ合衆国に行くメンバー
とに別れて分裂することになって行ったのです。
【 明日に続く。】