第2049回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2048話 山陽自由党から影山 英子先生への紹介状のこと。


                       2018年1月22日月曜日の投稿です。




イメージ 1



                 【  焼失前の 備前 岡山城 】



       【前話からの続きより。】


  1885年 明治18年9月頃、 備前岡山市で行われた、山陽自由党主催の

 金 玉均 氏の 個人演説会は、多いに盛り上がり、政府と外務省を批判する

 演説は、 当時 聴衆の心に 慶應義塾 福沢 諭吉 門下 の 自由民権運動

 家としての 金 玉均 という名前を 覚えさせて行ったのです。



イメージ 2
 


   話を聞いていた 岡山市周辺の自由民権運動家や、一般の人は、 清国の

 軍勢の前から、臆病風に吹かれて、 後を見せて 逃げていったという、外務省

 の 竹添 進一郎 朝鮮公使と、その警備部隊 仙台鎮台の兵士達のことを、

 「 おいおいーーっ つまらんのうーーゃ。」 「 なさけないのーう。」と、見下して

 いったのです。

  山陽自由党 主宰の演説会は 多いに成功し、 そして 石黒 函一郎先生も

  多いに満足されたそうですが、 金 玉均 氏の 2番目の目的、 影山 英子

  先生を協力者にするという、 そういう目的が本人が 岡山にいないことが

  わかり、  達成できなかったと言われています。



イメージ 3
  


                 【 土佐 自由党 板垣 退助 公 】


   同じように 影山 英子先生に興味を示した、 土佐の 自由党板垣退助

  公が、彼女と面会し、 多いに感心し、 なんと、自らが保証人になって、大阪

  の学校に連れて行ってしまったという お話しを 石黒 函一郎先生から聞くに

  及び、 彼に頼み込んで、 紹介状を書いてもらい、 一路、 御津郡 福濱村

  の港から 海路、大阪に向かったと言われています。




イメージ 4



      【 代言人 石黒 函一郎 【かんいちろう】先生 後の衆議院議員 】


   当事者の 石黒先生も、 そして 金 玉均 氏も、数ヶ月後に、石黒先生に

  自身の 代言活動を依頼して 動いてもらう事になるとは、 両人とも 想像だ

  にしてなかったと言われています。


    【 明日に続く。】