第2049回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第2048話  朝鮮独立党 金 玉均 氏と、神戸 西村屋 旅館の事。



                         2018年1月23日火曜日の投稿です。





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     【  前話からの続きより。】


   備前 御津郡 福濱港を出港した 金 玉均氏を乗せた船は、 当時の神戸港

 に到着し、 当時の 神戸の町中を 日本人の服装で歩いていると、現在の中央区

 に 西村屋 旅館という 当時では 敷居の高い よい旅館があったのです。



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  3年前、 金 玉均 氏は、ここの 西村屋 旅館に、大朝鮮国 外交使節団と

して 宿泊し、 朴 泳孝 氏らと一緒に、 テグ旗を 初めて 旅館の前に 竹棹

を建てて、 掲揚したのです。


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   現在の 大韓民国の 国旗 テグ旗は、金 玉均氏が原画を描き、英国公使

 アストン氏に意見を聞いて、 書き直し、 現在に近い姿となり、 神戸に降り立ち、

 この西村屋 旅館の前で、 初めて 掲揚されたと言い伝えられています。

 この西村屋 旅館、 残念な事に 昭和20年3月17日の空襲で焼失したと伝えら

 れています。

 戦災や、 関西大震災などがなければ、 神戸の名所の1つになっていたかも

 しれません。

 当時、 いずれまた、3年前のように、この西村旅館の前に自ら考えた テグ旗を

 掲揚してみせると、手の拳を握りしめていると、 「 もし、 もし、 玉均 様と違い

 まっか。」 と 後から 声をかける人がいたそうです。

 その人こそ、 西村屋 旅館の主人であったと言われています。

 「 そうでっしゃろーーぅ、 どないしはったんですか、 1人で、うちを 眺めて。」と

 問いかけられ、 「 一別以来 ご無沙汰しております。」 と会釈したそうです。



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     「 どうでっか、まっまっ 入っておくんなさい。」 と、中に案内され、

  主人と談笑に及び、「 玉均 はん、 3年ぶりでんな-。」 「 そりゃーーえらい

  ことに なりましたんやなーー。」  「 そんなことなら、 もっと はように、 

  うちを 訪ねてくれはったらっ。」と、今現在の金 玉均氏の身の上話となり、 

  主人曰く、 「 客間ではありませんが、 奥の小部屋がありますので いつでも 

  遠慮のうーー、当家を使ってください。」 と、 言われ、以後、ここを 金 玉均 氏

  は、 アジトで 使うことになって行ったそうです。


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     当時の 神戸では、 西村屋旅館と言うと、 格式の高い宿屋で、 身分の

  上の人や、お金持ちが宿泊する宿屋であったと言われていて、 そこの宿屋に

  小部屋を用意してもらい、 朴 泳孝氏らのアジトとは 少し離れた場所に、1人

  で部屋を密かに借り、 ここで郵便物を受け取ったり、 荷物を預けたりするように

  なって行ったと言われています。

  ところで、 九州の福岡県の玄洋社の 頭山 満 先生から送られた 支援金

  100円  現在の価値に直して 約220万円程度を 目の前に置いて、金 玉均

  氏はこの西村屋の部屋で1人静かに考えたと言われています。

  このお金を 生活のため、酒を飲むために使用すると、金額が減るだけで、

  どんどん少なくなって行くであろうと、 この お金を 生かして 利益を得て

  増やす方法はないものかと、 じっと 考えていったと言われています。


  【 明日に続く。】