第2052回 昭和の伝道師【 戦中戦後のパイロットの物語 】

第2051話 朝鮮独立党 金 玉均氏と、吉野村 土倉 庄三郎 氏のこと。

                      
                          2018年1月26日金曜日の投稿です。






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         【 奈良県の大金持ちであった 土倉 庄三郎 氏 】


  【 前話からの続きより。】



   奈良県の吉野村の土倉家に、岡山県の山陽自由党の影山 英子先生を

捜して訪れた、 朝鮮独立党 の金 玉均 氏は、現地の土倉家の人から、

「既に 影山 英子 さんは、大阪に行かれました。」と、知らされたと言われて

います。

 そして、土倉 庄三郎 氏と面会し、朝鮮独立党への支援を懇願したと言われ

ています。

 彼は、 影山 英子 氏の行き先の大阪の事について語り始め、旧近畿自由党

という組織が以前存在し、 現在は地下組織になっていると言う情報を伝えたそう

です。

 「 地下組織になっている。」 と、 問い直すと、 おおよそ このような経緯で

あったそうです。


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 「  慶應義塾の福沢 諭吉先生の 興亜と自由民権の学説に共鳴した 関西の

 人達が集まり、 近畿自由党などを設立して、集会などを開くようになって行った。

 この集まりの中で、 福沢 諭吉 先生の非暴力、言論のみで、世の中を改革して

 行こうという人達と、 元々が士族の明治政府に不平不満を持つ人達も一緒に

 なって行った、 これが 明治15年頃、つまり3年前の出来事であったそうです。

 不平不満を持つ人達は、 全国に自由民権の運動を広めると称して、各地に

 行って、 明治政府に対する武装決起の一揆を煽動して行った。




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 当時、 秩父困民党事件 という大規模な、西南戦争に次ぐ 大規模な反乱が

 明治17年12月初旬に発生し、 群馬県や、長野県まで反乱が広がり、大変な

 騒動になって行ったのです。

秩父困民党は、「自由自治元年。」 を叫んで全国に自由民権を呼びかけたのです。

その求めに応じて秩父困民党【ちちぶこんみんとう】を支援していたのが、近畿自由

党の大井 憲太郎という人物で、 彼は関西から有志を募って、秩父に支援を行

いに行っていたと、 聞き及んでいます。

 影山 英子 という女子は、彼の元にいるとのお話しを聞いています。」と、

 お話しがあったそうです。



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 ちょうど、 自分達が甲申事変で決起した当時、 日本でも秩父困民党が決起

 したというお話しを聞いた 金 玉均 氏は、多いに同調し、その後どうなったのか

 尋ねたそうです。

 すると、 「 政府は陸軍を動員して鎮圧し、首謀者達7名は死罪に処せられたと

 聞き及び、 その後、政府は、自由党は危険な国賊であると決めつけ、近畿自由

 党もその1つであるとの指定を受けて、ここ数ヶ月、大阪周辺で 近畿自由党

 一斉弾圧が、行われたというお話しです。」と語ったと言われています。


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「 内務省では、自由民権を叫ぶ不逞の輩を逮捕し、一斉に取り締まるお触れを

だしていて、 どんどん 近畿自由党の幹部は次々 逮捕され、 その中心人物の

大井 憲太郎 先生は、代言人【だいげんにん 弁護士のような仕事】で、逮捕さ

れた近畿自由党の同士の代言活動に奔走しているのが現在の大阪の近畿自由

党の現状です。



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 金 玉均 殿、 それがしが貴方に伝えたい事は、 今は時が良くないと言うこと

です。



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関西で、演説会を開くとどうなるか、 私服の警察官が監視に訪れ、 話の内容に

よっては、現行犯逮捕されるというのが現状です。

 ここは、よく考えて、充分自重され、将来のことを考えて、行動をされた方がよいと

 思います。」 と、 軽はずみな行動を自重するよう、釘を刺したと言われています。



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  金 玉均 氏に そっと 風呂敷包みを渡し、 「ご挨拶程度ですか、寸志でご

ざいます。」と、お金が手渡されたそうですが、当時、そのお金がいくらであった

のかは、わかっていないそうです。

こう言う経緯があって、 影山 英子先生が、大阪の代言人 大井 憲太郎 なる

人物のところにいるらしいと言う情報と、 日本政府によって、近畿自由党は弾圧

され、多くの逮捕者を出して、 表向きは 近畿自由党は 数ヶ月前に解散し、組織

は地下に潜っていることがわかってきたのです。



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                【  朝鮮独立党 金 玉均 氏 】

 
  朝鮮独立党の金 玉均氏は、 奈良県の吉野から再度、大阪に進路をとって

道中、 近畿自由党に接近し、彼等を利用しようと考え、 一足先に、近畿自由党

接近している 影山 英子 先生に、石黒 函一郎先生の紹介状を利用して、接近し、

その第一歩にしようと計画していったと言われています。


 【 明日に続く。】