第2079回 昭和の伝道師【戦中、戦後のバイロットの物語】

第2078話 明治18年の 大阪事件のこと。


                    2018年2月22日木曜日の投稿です。



イメージ 1



              【 当時の 内務省の内務卿 山縣 有朋 公 】


【 前話の続きより。】


  1885年 明治18年 12月 当時の内務省の主導で行われた、旧自由党

 人々への弾圧は、全国規模で行われ、 大阪で 近畿自由党関係者 約174名

 全国で300名近くが、 見込み逮捕されていったと言われています。

 山縣 有朋 公は、「 自由党が、なんならぁ、 腐り外道がっ、 ぶち くらわしちゃ

 れぃ。」 と、内務省や警察関係者に号令を掛けて、 徹底的に弾圧を加えていった

 と言われています。


イメージ 2

 

                     【 大阪府 警察本署 】

  現在の大阪府警は、 明治18年の当時、 大阪府 警察本署と、明治13年

 から呼ばれていて、 用意周到に、 自由党というのは、 口では、自由民権を

 唱えながら、 その実態は、 暴力によって、世の中を変えようとする 不貞の

 輩の集団であって、 その中心人物は、 代言人 大井 憲太郎で、 代言人

 とは、名ばかりの仮の姿で、 密かに 爆発物を製造し、 商家を襲う、強盗団

 の首魁であると、 政府によって全国に宣撫活動【せんぶかつどう、広報宣伝

 を行う事。 】が行われていったと言われています。


イメージ 3



  「ウソも10回唱えると 本当になって行く。」 と言う言葉がありますが、当時

 民衆の民意が低かった当時、 多くの人が 政府の宣伝を信じ、 自由党から

 離れていったのです。


イメージ 4



  そして、 前年 自由党創立者であった、板垣 退助公も、 福島事件、高田

 事件、 秩父事件などの 武装決起の行為に心を痛め、 前年の明治17年に

 自由党を解散することを発表していたので、 一気に、自由民権への民衆の風が

 途絶えていったのです。

 それに 追い打ちを掛けるように、 大阪事件が 内務省によって作られていった

 と言われています。



イメージ 5
 


   商人の町、 大阪では、 口で自由民権を叫んで、裏では、爆発物を

 製造して、 商家に強盗に及んでいた犯人の首魁が、 近畿自由党の 大井

 憲太郎であったという話を聞いた人達が、 明日は我が身と恐れ、 自由党

 は強盗団であるとの認識を持って、 だれも協力しなくなっていったと言われて

 います。  



イメージ 6



                 【 近畿自由党 首魁 大井 憲太郎 氏 】


  ところで、 弱い立場の人の身になって、 代言活動を行い、 人々から信用が

 あった 大井 憲太郎 と言う人は、 実は、妻子が在りながら、 景山 英子という

 女と 不倫関係に至り、 子供を作って、 そして、2人で爆発物を製造し、 夜に

 なると、商家に強盗に押し入り、 倉の鍵を爆破して、 有り金を強奪していたと

 大きく報道され、 本人達は、 警察で、 殴る、蹴る、突くの拷問を受け、知ら

 ない間に、 内務省によって、「 大悪党。」 にされていったようです。



  【 明日に続く。】