第2085回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第2084話 大朝鮮国 暗殺団の入国の事。
2018年2月28日水曜日の投稿です。
【 前話の続きから。】
言い伝えによると 大朝鮮国からの工作員の日本への潜入は、公になって
いる事件だけでも1886年から 1893年まで7年間も続いていて、露見して
いない事件を入れるともっと事件が発生していたのではないかと言われている
そうです。
これらの事件は、隣国 日本の主権を踏みにじる 自己中心的な朝鮮人の
行いで、 たびたび 外務省が抗議し、 犯人を捕らえて 強制送還していた
と言われています。
暗殺者の多くが、 宗教関係者 つまり キリスト教の布教関係者と自称して、
日本に入国したり、 日本人を殺害して、遺体を土中に埋めて、 日本人に
なりすましたりと、 それはそれは、 目的の為なら、情け容赦のない行為に
及んでいったと言われています。
1886年 明治19年に発生した、金 玉均 氏 暗殺未遂事件の犯人達は、
米穀貿易商人に変装し、日本の横浜港に潜入し、横浜の外国人居留地にアジト
を作って、 しきりに東京と横浜を往復していた言われています。
当時、 金 玉均氏は、 東京の京橋区鋸屋町のアジトに潜伏していたそうで、
彼等は、 そこを襲おうとしていたと言われています。
結局、 朝鮮人というのは、 自分達の目的の為なら、なんでも 平気な
顔をして、 関係の無い人に対して、殺しでも、 強盗でも、なんでも やって
いったようです。
こうして 金 玉均 氏は、日本の東京の京橋で 襲われることになっていった
と言い伝えられています。
襲われたのは、明治19年の5月の終わりの月末であったとされていて、
日本は 関係の無い 朝鮮人同士の抗争事件の舞台となっていったと言われ
ています。
後から考えると、 彼等を受け入れた 慶應義塾にも責任があるでしょうし、
福沢 諭吉先生にも責任があるでしょうし、 人道上 仕方のない受け入れで
あったようですが、 朴 泳孝 氏や、金 玉均氏 らは、在日のパイオニアの
ような存在で、 工作員潜入事件の元祖であったようで、 日本人が事件に巻
き込まれていったようです。
【 明日に続く。】