第2107回 昭和の伝道師【 戦中戦後のパイロットの物語 】

第2106話 明治19年 長崎事件  悪者にされていった長崎県警察本部の事。


                        2018年3月21日 水曜日の投稿です。



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             【 清国の北洋大臣 李 鴻章  り こうしょう 】



    【 前話の続きから。】

   「 日本人 【リーペン】不是、不是、不是。【プーシープーシープーシー】」


  と 日本の外務省のお話しを否定し、 日本の請求した 損害賠償のなんと

  3倍以上も 損害賠償金をふっかけ、 その内訳を 外務省が問いただすと、

  死者や、死傷者を好き勝手に 数を水増しして、 それは それは、あの手

  この手で外向的揺さぶりをかけ、 当時のドイツ帝国などを利用して、日本に

  圧力をかけてきた 清帝国の北洋大臣 李鴻章 という人は、当時の日本人

  には手に余る人物だったそうです。


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                   【 長崎県 警察本部前 交差点 】


 当時、清国人は、「 日本人の長崎の警察署が国際法違反で、悪い。」と決め

つけ徹底的に、国際法違反を強調していったと言われています。

 なにが 国際法違反であったのか、 それを 日本人が調べると 次の様な

ことがわかってきたのです。


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                       【 長崎県警察本部跡】


  明治13年に、名称を 長崎県警察 本署 とし、 1886年 明治19年の7月

 に、 長崎県 県令を 県知事に格上げし、 それと一緒に、 長崎県警察本部

 と名称を変えることが決定され、 まなしの 長崎事件であったのです。

 清国人が、長崎県警察本部が、国際法違反であると糾弾して、世界に宣伝した

 のは何であったのかというと、 腰のサーベルであったのです。


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  当時、全国の警察官は、腰にサーベルという姿であったそうですが、 横浜港

 や、長崎港のような、国際貿易港は、例外として、 警棒のみの携帯で、日常

 業務をおこなっていたそうです。

 当時の国際法では、 殺傷する道具を持って、 国際貿易港で警らすることは

 禁止されていたのだそうです。

 数年前、 酒に酔っ払った外国人に 長崎港の巡査がサーベルを抜いて 威圧

 するという事件があり、 外国の公使館から、「 国際法違反。」と抗議があって

 その後、警棒のみの携帯で業務するようになっていったというのが、明治19年

 頃の当時の長崎港の警察官の装備だったようです。



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    ところが、清国海軍の将兵、500名の複数の部隊が、婦女暴行、窃盗

   建造物損壊などの行為を同時に行い、 警棒を持って制止に入った警察

   の巡査を清国海軍将兵が大勢でよってたかって袋だたきにするという事態に

   至り、 応援要請を受けた警察官が、サーベルを持って飛び出していき、

   正当防衛ながら、清国海軍将兵と斬り合いに発展していったのです。


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 長崎港で開かれた 会弁委員会でも、 外国人判事から、国際法に違反する

行為で、死者が出たのは、サーベルのせいであると、結論がなされ、 当事者の

一方であった、長崎県警察本部の巡査達は、騒動の原因の1つとされ、批判され

ていったのです。

そして、 清帝国の抗議は、国際法に沿った申立で、妥当であるとして、多額の

損害賠償を大日本国政府が支払うべきであるとの判決になっていったのだそう

です。


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  大日本国政府は、「清国人が 長崎港で騒動を起こし、巡査に暴行を集団で

行っていったので、 正当防衛である。」と 繰り返し申立てたのですが、「それで

国際法は何の為にあるのか、 巡査の人殺しを正当化することは出来ず、別の

方法で対処し、犯罪者を逮捕すべきであった。」と、されていったのです。

「 日本人巡査がサーベルで襲ってきて、 清国海軍の将兵は、正当防衛で、棒や

その他の品を手に取り、 それを防いだだけである。」との 申立が 会弁委員会

で通っていったそうです。


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  こんな お話しを聞いた、長崎県警察本部の巡査達は、「 なんば寝言いうとる

 とよ。」と、 多いに腹を立てたと伝えられています。

 殺された 巡査やその親族には、多いに気の毒な結果になって行ったのです。

  
  【 明日に続く。】