第2110回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語 】


第2109話  朝鮮半島での清国人の卑劣極まる統治の事。


                         2018年3月24日土曜日の投稿です。




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  1886年 明治19年の8月に長崎県の長崎事件が発生した頃、 朝鮮半島

から新たな事件が日本の博多や、長崎に伝えられたと言われています。

それは、 大朝鮮国 国王 高宗が、清国人によって 監禁されたという噂

であったのです。





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                     【 大朝鮮国 国王 高宗 】


   当時の日本人には、 そんな噂、 確認のしようがなく、 朝鮮半島に交易

 に行っていた、商社の人のお話や、 いろんな人の口づてのお話しであった

 そうですが、 なぜ  清国人に監禁されるようになって行ったのか、それは

 当時の謎であったのです。

 日本政府も、内政干渉というか、 前年の明治18年の清国との天津条約の

 約束のため、 朝鮮半島の政治には不介入の立場をとっていたそうです。


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 前年の天津条約での 伊藤 博文公の尽力で、 清国の軍勢は朝鮮半島から

撤退し、同時に大日本国の陸軍も撤退し、朝鮮人の国家に戻される予定でしたが

清国からの官僚は居座り、 その清国に追随して 自分達の立場を守ろうとする

 事大党 【 じだいとう】という 一派によって、 朝鮮半島は支配される事になり、

 西洋化を進めようとする 開化派や、 自由民権を進めようとする 独立党の

 人達は、追放されたり、 島流しにされたり、 捕らえられて牢に入れられたり、

 殺害されたりしていったのです。



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  そして 当時の情勢は、 袁世凱将軍が、清国に送る貢ぎ物の数量を決定し、

 それを 朝鮮人の官吏に命じて、 臣民から年貢を取って、 清国に送っていた

 そうですが、 各地域、 与えられた数字の年貢が集められないと、 どうなった

 かというと、 命令を受けた 朝鮮人の役人と、その家族が見せしめの為に 公開

 処刑されていったと言われています。


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     年貢が集められないと、 清国人に殺されるーーーーー。

   役人は、 あの手、この手で、庶民から 年貢を搾り取っていったのです。

   そうしないと、 自分と親族が 殺されるからでありました。


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   日清戦争が始まる前に、大きな農民や庶民の一揆が起きて、 大きな動乱に

 なって行ったその原因は、 庶民から 年貢と称して、食べ物をはぎ取っていった

 それを 清国人が 貢ぎ物と称して、持ち去っていく、 朝鮮王朝には、何も残らず

 すってんてんの状態が続いていったのです。


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   こうして 朝鮮半島の 大朝鮮国は どんどん貧乏国家になって行き、庶民の

 不満がマグマのようにたまっていったのです。

 

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 みなさん、現在の年貢こと、税金が払えなかったり、生活が困窮すると生活保護

などが受けられますが、 当時は 朝鮮半島ではそうではなかったのです。

とんでもない お仕置きが待ち構えていて、 ひどい場合は、見せしめで 殺されて

いった、 そうなる前に 大事な物を持って 逃げようと、こうなっていったのです。



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   途中で捕まって、 縄で縛られ、 みんなが集まる広場で 処刑される。

   これが 清国人のやり方で、 それを 見せられていった 朝鮮半島の人達は

   明日は我が身と清国人を恐れ、 そして、 隠れていったのです。



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  それでは、朝鮮人は、自分達の力で、清国人を追い払えばよいではないか、

 こうなるのですが、 そういうことが出来なくなっていった、 というか、国家が

 弱体化して、 軍隊の兵士にも、給金が払えない程度、国庫が枯渇していた

 そうです。

   年貢が入ったら、 清国人が持って行ってしまうので、 すっからかんに

 されていったそうです。

 

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  「このままでは、大朝鮮国は、無くなってしまう、 なんとか しなければならない、

清国人を追い払い、 大院君 興宣の時代のように、朝鮮人の手で 政治をおこ

なわなければならない。」 という 人達が 密かに 国王 高宗に近づき、暗愚な

彼を利用して、清国人追い落としの計画を実行していったそうです。

つまり、また 暗愚な国王 高宗は、 彼を利用して権力を得ようというか、世直し

を行おうという人達に利用され、 渦に巻き込まれていったようです。



 【 明日に続く。】