第2112回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第2111話 明治19年の第2次 露朝密約事件のこと。
2018年3月26日月曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
長崎事件が引き起こされたと同時期に、朝鮮半島では、第2次露朝密約事件
が発生し、 清国の袁世凱 将軍によって、事前に諜報組織によって、察知され、
事件関係者は、抹殺されていったと言われています。
ところで、 どんな計画であったのかというと、 前年の明治18年に
および、 日本も、清国も 朝鮮半島から軍隊を引き揚げ、 大朝鮮国は、朝鮮
人に政治を任せるべきであって、 清国や日本が 内政干渉することは控える
との条約を結んで、 当時の大朝鮮国の官吏達からは、大きく感謝されたので
すが、 清帝国の官吏達は、清国に帰ろうとせず、朝鮮に居座ったのです。
当時、大日本国は、伊藤 博文公によって誠実に 条約が実行され、
仙台鎮台の陸軍の兵力は、朝鮮半島から撤退したのです。
しかし、 清国人は あれや、これや 理由を作って、出て行こうとしなかった
そこで、朝鮮人が考えたのが、 勇気を出して、清国人の官吏を血祭りに上げ
殺害してと、思ったようですが、それをすると その先、 天津から海路 清国
の軍勢が、 清国艦隊と一緒に 攻め寄せて来るであろう事は予想され、 ところ
が 朝鮮は、西洋式の軍艦が当時1隻もなかったのです。
【 ドイツ製の 清国海軍の当時の戦艦 】
そこで、朝鮮人が考えたのは、ロシア人を利用して、 ロシア艦隊に 清国艦隊
を 海に沈めてもらえないかという 要請を ロシア帝国 皇帝に奏上したそうです。
朝鮮が 首都 漢城にいる清国人を 武力で制圧すれば、 数日の内に、
清国海軍と 清国陸軍が 天津を出港し、 江華島沖合に姿を現す、 ここを
ロシア艦隊に砲撃してもらい、撃破すれば、 清国は 以後 朝鮮に内政干渉
を行ったり、貢ぎ物の要求をしてこなくなるであろうと考えたようです。
【 当時の 大朝鮮国の首都 漢城の王宮 】
ところが その考えは朝鮮人の一方的な考えで、ロシア人は、そんな危ない
橋は渡らなかったようです。
そして、 返書もよこさなかったようです。
陸軍をおびき出して、 江華島沖合で、ロシア艦隊がこれを攻撃していたら、
清国の 4隻のドイツ製の戦艦は、練度不足から、ロシア艦隊に撃沈されていた
であろうと言われ、 それ以前に、 定遠は、故障して 当時長崎港の造船所に
ドック入りしていたので、 使い物にならず、 朝鮮人の反乱は成功していたかも
知れません。
変わっていったかもしれません。
などの艦艇を 大変脅威に感じ、 朝鮮人のために 海軍を派遣すること
は行わなかった様です。
そのような事情で、 ロシアとの秘密交渉のために、国王 高宗の 親書を
持った使者が ロシア帝国に出向いて、 話がうまくいかず、戻って来た時に
清国人官吏達や、 事大党と呼ばれる、清国に追随する朝鮮人一派に計画
が漏れ、 弾圧を受けることになっていったそうです。
【 大朝鮮国 国王 高宗 】
この計画が、内々に、当時の大朝鮮国 国王 高宗の 印がおされた国書
が発見されるに及び、 国王 高宗は 清帝国 皇帝陛に対して、謀叛を
企んだという理由で、 身柄を監禁されていったと言われています。
【 明日に続く。】