第2114回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2113話 明治19年 第2次露朝密約事件のウクライナ語の密書のこと。


                        2018年3月28日水曜日の投稿です。




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                     【  当時の 清国の軍人 】


   【 前話の続きから。】


   みなさん、 戦前の 孫文先生の中華民国とか、 戦後の毛沢東の中華人

  共和国 とか、 どう言う意味があるのか 悟った時に、その答えは、当時の

  明治時代の清帝国の中枢の人達の考え、物の見方を 象徴する国名となって

  います。

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   明治19年当時の 清帝国の皇帝や、実際の実権を握って、恐怖政治を

行っていた 西太后達の物の見方は、 世界の世の中の中心に自分達の清帝国

があって、 これが漢字で書く 「 中。」 と言う意味があるようです。

そして、「 華。」という漢字の意味は、 世の中の中央で、華やかな場所、国家

という意味があるようです。


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  つまり、 大きな大陸の中央に 清帝国があって、 朝鮮半島は 東の辺境の

自分達の帝国の一部であったのです。

 わかりやすく言うと、 日本の東京を中央とすると、 南西諸島の石垣島

ように、離れた場所の 自分達の国家の一部と考え、 大朝鮮国 国王 と言って

も 広大な清帝国の 一部の地方自治体の首長程度の 身分と考えていた様

です。


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 なので、細かなことは別にして、 毎年、 清帝国に、年貢に相当する 貢ぎ物

を納めることを義務ずけ、 清帝国 皇帝陛下の命令を守り、 領地をそそうなく

納めることが義務とされていたようです。

  江戸時代の初頭、 江戸幕府が、 各地の大名がお金を持つと よからぬ事を

 行うと警戒して、 「 お手伝い普請。」 と呼ばれる 公共事業を行わされ、期日

 前に完成しなかったら、 御家 取りつぶし と称して、 領地を取り上げたり、

 そんな事が続いて、 大名は 商人から借金を重ねて、 財政破綻していった

 のですが、 それに近い事が 清帝国袁世凱将軍によって、朝鮮半島

 行われていたようです。

 つまり、 朝鮮人がお金や、軍事力を持たないように、 貢ぎ物と称して、

お金や、穀物や、物産を持ち去り、 朝鮮王室を貧乏にすることで、力を削ぎ、

支配をして、 自分達の武力を示し、 朝鮮人を コントロールしていったようです。



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  ここに、朝鮮人が ロシア帝国と手を結んで、 清国人を追い出そうとしていた

のは、朝鮮人にとっては、 自分達の国の司法、外交、行政を 朝鮮人に取り戻す

行為であったのですが、 袁世凱将軍ら、清帝国人から見ると、 清帝国に謀叛を

企てる 許せない行為で、 これが 実行された後、 その先、 どうなるのかと


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言うと、 朝鮮国の監督不行届を見咎められて、 袁世凱将軍 や、一族ともども

西太后らに 処刑される運命にあったそうです。



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だから 命をかけて、 朝鮮が 裏切って ロシア帝国の一部になるような行為は

阻止する必要があったのです。



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          【 暗愚な人物であった 大朝鮮国 国王 高宗 】


  ところで、 1年前の明治18年6月まで 大朝鮮国の外務協弁であった 

 メレンドルフ は、 朝鮮半島漢城に住んでいた ウクライナ人の セラディン

 サバティン氏に ウクライナ語で手紙を書き、 彼は それを ドイツ語に直して



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              【 ウクライナ人 建築家 セラディン サバティン 】


   ロシア公使館のカール イバノビッチ ウェバー公使の 妻に密かに手渡し、




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当時の 朝鮮半島 漢城の ロシア公使、 ウェバー公使に ロシア語に直して

手渡されたと伝えられています。



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  【前年 袁世凱将軍らに失脚させられた 元外務協弁 メレンドルフ 】      




  その内容というのは、 このまま 国王 高宗が、 袁世凱将軍によって廃位

 させられると、その先 ロシア帝国袁世凱将軍と大きな溝が出来、修復が難し

 くなるので、早めに会談をもって、 釈明を行うべきであるとの内容であったよう

 です。

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       【 ロシア帝国 朝鮮公使館  カール イバノビッチ ウェバー 公使】


 それは、誰のためでもなく、 貴殿自身のために行うべきで、 用心しないと

 袁世凱将軍に 命を狙われるであろうとの文章であったそうです。

 こうして、当時のロシア公使館では、 公使を中心に、 大騒動に発展した当時、

 どうやって 事態の収拾を行うのか、 多いに難儀することになって行ったと言わ

 れています。

 そして、もう1枚の紙には、 事態収拾の方法の意見具申が書いてあったそう

 です。



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  ところで 大朝鮮国のロシア公使館と その周辺は、 袁世凱将軍の諜報員

 が 絶えず監視していて、 手紙の内容までは 把握していなかったようですが、

 サバティン氏から、 ウエバー公使の ドイツ人妻に 何かの手紙が渡された

 という事は 袁世凱将軍に報告されていたそうです。


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   そして その報告を受けた 袁世凱将軍は、 前年まで 外務協弁であった

 メレンドルフ が 何某かのことを企てていることに気がついていたようです。

 こうして、 ロシア公使 ウェーバーは、 袁世凱将軍に ロシア皇帝の名代と

 称して、面会し、事件について釈明する事になっていったと言われています。


  【 明日に続く。】