第2118回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2117話 第2次露朝密約事件 袁世凱将軍の決断のこと。


                       2018年4月1日 日曜日の投稿です。



イメージ 1



          【 朝鮮人に恐れられていた 袁世凱 【えんせいがい】将軍】


   【 前話の続きより。】


   袁世凱将軍は 1886年 明治19年の8月の当時、大朝鮮国 国王 高宗

を廃位させ、 その後、病死に見せかけて 殺害を計画していたと言われ、何度

も見て見ぬ振りをして、命を助けてやったにもかかわらず、自分達を追い落とし

を計画していたことを知り、 生かしておいては、いつかは 自分が 殺害され

るに違いないと考え、 「 絶対 やられる前に 殺さなければならない。」と、

決意していたようです。


イメージ 2


    【 事を穏便に処理するよう申し入れした ロシア帝国 ウェーバー公使 】



 ところが、ロシア公使館の ウェーバー公使と会談し、 彼の申立を聞くに及び、

考えたようです。

 少し考えたあげく、 袁世凱将軍が考えた判断というのは、どうであったのかと

いうと、 その判断を 清帝国 の北洋大臣 李鴻章 に委ね、 その決定が出る

まで、行動は控えるとの判断であったと言われています。


イメージ 3



             【 清帝国 北洋大臣 李鴻章 【りこうしょう】】


  ところで 以前紹介したように、明治19年の8月の当時、 長崎事件と言う

 長崎県警察と、清帝国の海軍将兵による衝突事件で、死傷者を水増しして、

 大日本国の損害賠償請求の 3倍近い 損害賠償金を 外務省の塩田 三郎

 特命全権公使に対して申し入れを行い、 各国に大日本国の長崎の警察の

 国際法違反行為を唱えていた当時、 前年、 大日本国 筆頭参議、伊藤 博文

 公と結んだ 天津条約を破って、 国王 高宗を 廃位させることは得策ではない

 との判断を行い、 李鴻章 北洋大臣は、 袁世凱将軍に、「今回だけは、目を

 つむり、穏便に済まし、 国王 高宗の周囲の監視を強化しするよう。」申し渡し

 たと伝えられています。


イメージ 4
 


          
                   【 当時の大朝鮮国 国王 高宗 】




  こうして、 明治19年の 第2次露朝密約事件で、 大朝鮮国の国王 高宗

を廃位させ、 別の 人形のような 国王を立てて、都合の良い政治を行おうという

清帝国の朝鮮駐留の官吏と、 事大党とよばれる朝鮮人の一派の計画は、延期

されることになっていったと伝えられています。


イメージ 5



    【 政治の渦の中心であった 当時の 漢城のロシア公使館 】



 実は、この事件のこの出来事は、 日清戦争の後の 首都 漢城での武力決起

の原点となって行くのです。

 どうして 原点となり、 閔妃 【びんひ】が殺害されるに至ったのか、謎の多い

 事件であったのです。


  【 明日に続く。】