第2120回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2119話 朝鮮半島と脱興亜論のこと。2018年4月8日日曜日の投稿です。





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          【 大朝鮮国の首都 漢城 こと 現在の ソウル 】



  【 前話の続きより。】


   明治19年の8月、 日本の長崎で、清国海軍将兵と 長崎県警察本部との

 市街戦、 通称、長崎事件が発生していた当時、 朝鮮半島では、第2次露朝

 密約事件が発生し、 福岡市の玄洋社では、 経済相互扶助会から、愛國団体

 に変化して行った当時、 日本の自由民権運動の主軸であった 慶應義塾

 福沢 諭吉先生の思想が変化していったと言われています。


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   朝鮮半島と、 日本は手を結び、 興亜論と呼ばれるアジア主義を唱え、

  アジア人が相互に協力することで、西洋人の植民地支配の侵略に対処

  していこうという そういう考えであったのですが、 朝鮮半島が、事実状の
  
  清国の植民地に成りはててしまい、 興亜論を唱える人達が、朝鮮半島

  から追放されてしまい、 朝鮮半島での 自由民権派は衰退していった

  そして、 その先どうなっていったのかというと、 脱興亜論に変化して行った

  と言われています。



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  脱興亜論とは いったい 何であるのか、 どんな論なのか、 そして朝鮮半島

や、大陸の歴史研究家が、「 日帝 福沢諭吉が 本性を現していった。」と批判

することになっていった その行動、発言とは どうであったのか 少しずつ 勉強

して行きたいと思っています。

いったい どのような事があって、 暴力を容認するようになって行ったのか、

謎が多く、 わからない部分です。

 

 【 明日に続く。】