第2122回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第2121話 福沢 諭吉先生の戦争支援の原因のこと。


                          2018年4月10日火曜日の投稿です。



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   【 前話の続きより。】


   慶應義塾の福沢 諭吉先生が、 暴力反対、戦争から何も得る物は無いと

 いう方針から、一転して、清国との戦争に同調し、支援と称して当時のお金

 で、2万円も 慶應義塾の同門などからお金を集めて、当時の政府に献金する

 ようになっていった事は世間に知られたことで、 大陸の歴史研究者達は、これら

 の事実から、 福沢 諭吉の自由民権運動は見せかけで、 実は、自由民権運動

 は世間を煽動するスローガンで、 本当の目的は、朝鮮半島に 慶應義塾の影響

 下の政府を樹立して、朝鮮半島を支配しようとしていたと、 糾弾される原因となって

 います。



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    人に流されることのない、強固な意志を持った 福沢 諭吉 先生が、その

  考えを変えていく出来事や理由については、 正確には謎となっていて、

  いろんな説がありますが、 これから紹介するお話は、その中の1つで、非常に

  信憑性の高い説です。



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    明治19年に 朝鮮独立党の 金 玉均氏が 小笠原諸島の父島に行った

  経緯は以前紹介したのですが、 福沢諭吉先生が考えを変えていった原因は

  朝鮮半島の朝鮮独立党の一派と多いに関係があると言われています。



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    大きく分けて、 金 玉均 氏にまつわるお話し、 朴 泳孝 氏にまつわる

  お話し、 そして 1番大きな理由は、自身の腹心の1人であった、井上 角五郎

  先生の編集していた、朝鮮での新聞の休刊に至ったお話しにあったと言われて

  います。


  【 明日に続く。】