第2123回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2122話 明治中期の日本の愛國思想についての事。

                        2018年4月11日水曜日の投稿です。




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              【 慶應義塾 主宰 福沢 諭吉 先生 大分県出身】


  「 戦争や、暴力からは何も生まれず、えるものは無い。」 としていた 福沢

諭吉先生の考えを変えていった原因の 最有力は、 福岡県の玄洋社と朝鮮独立

党の金 玉均氏であったとする説が有力です。

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  朝鮮独立党の 金 玉均 全権公使は、 現在の大韓民国の国旗のテグ旗

 の原点を船中でデザインし、 日本の兵庫県神戸港にあった、西村屋旅館

 の前で初めて掲揚したことが知られていますが、 明治の中期、大日本国の

 愛國者に与えた、精神的考えは計り知れない物が有ったと言われています。



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  そして、 後に外務大臣に就任することになって行った、大隈 重信公 暗殺

 未遂事件にも大きな精神的影響を与えていったのです。


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  そして、日本と清帝国の戦争の日清戦争の原因の1つも 金 玉均氏であった

 とされていて、 同じ 朝鮮独立党の 山崎 永春 こと、朴 泳孝 氏もこれらの

 事件に深く関与し、 その周囲には、戦前最大の愛國組織 玄洋社の組織が

 あったとされています。


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   その事件の始まりは、どこからかというと、 捕らえようが難しいのですが、

  あえて言えば、小笠原諸島の父島の 玄洋社の開墾農園に、囲碁の家元

  本因坊 秀栄 氏が 見舞いに訪れたあたりであったと言われています。


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   大隈 重信公が、片足を失うことになって行った事件の原点は、小笠原諸島

  父島から始まって行ったようです。


   【 明日に続く。】