第2125回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第2124話 小笠原村での朝鮮独立党 金 玉均氏のこと。

                         2018年4月14日土曜日の投稿です。





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   朝鮮半島で自由民権の国家を樹立しようと 武力決起をおこし、わずか3日

 で清帝国袁世凱将軍に武力鎮圧され、日本に逃走し、刺客から命を狙われる

 身の上となった、 朝鮮独立党の 元全権公使 金 玉均 氏は、流れに流れて

 小笠原諸島の父島の 玄洋社の農園の近くの長谷という場所に暮らすことに

 なったと言われています。

 ここで、 水墨画を描いて、島民に与えたり、 書を書いて、島民に与えたり、

 そんな暮らしで、明治19年頃、この地を陣中見舞いと称して 訪れた、囲碁

 家元 本因坊 秀栄氏の生前のお話しでは、 島民にも 尊敬され、 先生と

 呼ばれていたそうです。



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          【 玄洋社の傘下の囲碁の家元 本因坊 秀栄 氏 】


   本因坊 秀栄 氏 が、遠く 小笠原の父島を慰問に訪れたというのも、当時の

  交通手段で、大変な事であったと思われます。

  それだけ、魅力のある人であったようです。

  秀栄氏のお話では、 島民の若い衆が、 金 玉均氏に弟子入りして、文字や

  学問、水墨画、 囲碁などを習っていたそうで、 玄洋社の農園に入植していた

  人達も、次第に 金 玉均 氏と 交わるようになっていったと思われます。


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                   【 朝鮮独立党 金 玉均 氏】


  ここで、目的の為には、 大義を尊重して、小義を捨てて、 命をかけて物事を

  完遂するという精神が語られていたようで、 次第に、金 玉均氏とかかわって

  いた人の心を 惑わしたというか、 洗脳していったというか、 そういう 思想に

  なっていったようです。


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  本因坊 秀栄 氏は、 金 玉均氏の元を訪れ、 碁を打ったとなっていますが、

ただ、碁を打ちに行ったのではないと考えるのが妥当なようです。

それが 何の用事であったのかは不明ですが、 おそらく方円社との対立や、問題

について 相談しに行ったのではと推測しますが、証拠は何も無く、 碁を打って、

金 玉均氏を慰問したと、 ただ それだけ記録にあります。

 数年後、大隈 重信公を暗殺しようと事件を起こした、 玄洋社の社員の来島

恒喜 氏や、的野 半助氏や、 竹下 篤次郎氏らも、金 玉均 氏にいろいろ

教わるようになっていったそうで、 だんだん、 目的の完遂のためには、なんでも

やるという、 物の考え方に変わっていったようです。


【 明日に続く。】