第2133回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第2132話 明治22年 外務大臣 大隈 重信公暗殺未遂事件、当日のこと。


                       2018年4月22日日曜日の投稿です。




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    【 前話の続きより。】

 1889年 明治22年 10月18日に、筑前 福岡の玄洋社の社員であった、

来島 恒喜氏の投げたとされる 爆発物は、言い伝えでは、馬車の馬の後ろ足

の後くらいのところに転がり込んで爆発し、「 ズッカーン。」と言う大音響とともに、

後の外務大臣 大隈 重信公の乗っていた馬車の前部車輪付近が吹き飛び、馬車

を動かしていた車夫は吹き飛び、 馬車が一瞬、宙に浮いて横転したと言い伝えら

れています。



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         【 武力決起した 玄洋社の社員 来島 恒喜 氏】


   来島氏は、爆発の後、 懐から 白鞘の短刀を抜いて、爆発した馬車に

 大隈公のとどめを刺そうと駆け寄ると、 大隈公は足が吹き飛んで、血まみれで

 死んだように意識がなかったそうです。

 彼は、それを見ると、 急いでいたのか、 とどめを刺すことは行わず、宮城

 【きゅうじょう 現在の皇居のこと】の方向に向かってその場で正座すると、何やら

 叫んだ後、 手に持っていた短刀で、自身の喉を突き刺し、その場に倒れ込んだ

 そうです。

 
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  彼が、 血まみれの 足が吹き飛んだ、外務大臣 大隈 重信公を 短刀で

突き刺して、首でも取っていたら、 大隈 重信 公は、後に総理大臣になることも

無かったと思いますし、 当時外務次官であった、原 敬 元 総理大臣が大隈

 重信 公と対立して、外務省を去ることも無かったかも知れません。

その時、 来島 恒喜 氏が、大隈 重信公を見た時、 これは どう見ても死んで

いると思う程度、足が吹き飛んで 血まみれのひどい状態であったのでしょう。


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当時、ほんの一瞬の短時間の出来事で、 外務省や、内閣では、大騒ぎになって

行ったのです。



【 明日に続く。】