第2134回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
2018年4月23日月曜日の投稿です。
【 爆発物による 攻撃で瀕死の重傷を負った 大隈 重信公】
【 前話の続きから。】
外務省では、ほんの一瞬の出来事で、外務大臣の馬車が爆破され、犯人と思わ
れる人物は、短刀で自決し、 何が何やら混乱する中、とにかく、右足を吹き飛ば
され血まみれになった 外務大臣 大隈 重信 公を助け出したものの、その傷
のひどさに 手の施しようがなく、 伝令が 当時の順天堂医院に走ったとされて
います。
ここの順天堂医院には、当時 ドイツに留学して 博士号を取得していた、外科
の専門医、 佐藤 進 軍医総監【 陸軍中将並】が勤務されていて、急いで
大隈 重信 外務大臣の治療が要請されたそうです。
その 佐藤 進 先生は、 「 よいも悪いも、君、すぐ案内したまえ。」と回答し、
「 おうーーそうじゃ、 外科の達者な東京医学校の ベルツ先生に急いで来て
もらうように。」と言い放ち、 外務省の伝令はそのまま、 東京医学校に走った
とされています。
東京医学校と言うのは、 現在の 東京大学 医学部のことで、ここにドイツ人の
お雇い外国人の 外科の先生がいたそうです。
こうして、 瀕死の重傷を負った 外務大臣 大隈 重信 公は、2人の医師に
治療を受けることになっていったと言い伝えられています。
【 明日に続く。】