第2136回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2135話 明治22年 大隈 重信 外務大臣の右足切断手術の事。


                         2018年4月25日水曜日の投稿です。





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                   【 明治初頭の 順天堂医院 】


   【 前話の続きより。】

 1889年 明治22年10月18日に発生した、外務大臣 大隈 重信 公の馬車

爆破事件によって、 外務大臣 大隈 重信 公は、右足を吹き飛ばされ、血まみれ

となり、 意識が無くなり、大急ぎで 当時の外科のスペシャリスト、 順天堂医院

 の佐藤 進 先生や、 東京医学校の ドイツ人医師 エルヴィン フォン ベルツ

先生が中心となって、緊急手術が行われることになって行ったと言われています。



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         【 順天堂医院 陸軍軍医総監 【陸軍中将並】 佐藤 進 先生 】


 当時も、今も、 不思議がられているのですが、 大隈 重信 公、よく 出血多量

で亡くならなかったものだと言われているようですが、 初めの応急処置がよかった

から、命が助かったようです。

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  当時の言い伝えによると、右足の太ももから、 切断して、縫合する手術が

行われたそうで、今もそうですが、 当時の医療水準では、大変な大手術で

あったそうです。

  それだけ、 馬車の下部で炸裂した 爆薬の破壊力が 大きかったようです。


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    【 東京医学校 エルヴィン フォン ベルツ 先生 ドイツ帝国出身 】


   手術が終わっても、40度以上の高熱が続き、 大隈 重信 公は死線を

  さまよったそうで、 予断を許さない容体が続いたと言われています。



  【 明日に続く。】