第2141回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第2140話 第2代 内閣総理大臣 黒田 清隆公の事。


                        2018年4月30日 月曜日の投稿です。




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   【 前話の続きより。】


  薩摩藩出身の第2代 内閣総理大臣 黒田 清隆 公は、薩長連合を主導し、

戊辰戦争では、北陸、奥羽征討で参謀を勤め、 五稜郭の戦いでも中心となって

戦争を遂行したのですが、 その戦術というのは、海を上手に使い、相手の背後に

上陸して、敵の虚を突く戦術で多いに戦果を上げ、また、和平を持ちかけ、無用な

戦闘を避けていたようです。

 箱館戦争でも、 榎本 武揚 総裁と和平を結び、多くの人が、打ち首にしろと

騒ぎ立てる中、 自ら剃髪して 丸坊主となって、榎本 武揚ら幕臣の助命嘆願に

回り、命を救ったことは良く知られています。

 人の面倒見がよく、情けのある人で、慕う人が多かったそうです。

 わずか、石高4石取りの下級武士と言いますから、4石というと、年収40万円

 程度の足軽程度の出身で、苦労していたそうです。


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    1888年 明治21年には、 第2代 内閣総理大臣になったので、明治

時代の太閤殿下といってもよいかもしれませんが、大きな欠点がある人だった

そうです。

 それは、お酒が過ぎると、 悪酔いして、人に絡んで、ケンカをすることが

多々あったと言われています。

悪い人では無いので、周囲の人は、「 またですか。」 と、 流していたそうで

すが、 その酒癖が悪いのがどんどんエスカレートしていったと言われています。

 明治22年 12月15日の夜、「 おまん、酒がたらんでごあんど。」と、どんどん

深酒をして、自宅の玄関を酔っ払って ふらふらと出ていったそうですが、屋敷の

人は、 旦那様、そのうち帰って来るであろうと思っていたそうですがーーーー。



   【 明日に続く。】