第2148回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第2147話 上海 東和洋行事件 前夜のこと。
2018年5月7日月曜日の投稿です。
【 前話からの続きより。】
からの正式な申し入れで、疑うことなく、朝鮮独立党の二人の指導者に手紙を
送った、慶應義塾 福沢 諭吉先生は、安心していたようですが、当時 神戸
に本拠を置いて、 朝鮮半島の動勢を密かに探っていた、 朴 泳孝 氏は、
この話は出来すぎていると 疑い、 話しに乗らなかったとされています。
【 朝鮮独立党 朝日新塾 主宰 朴 泳孝 氏 】
考えて見た時に、清帝国の北洋大臣が、罪人扱いの亡命者の今後の世話
など、 清国人が行うわけがないと、考えたようです。
もう一方の指導者 金 玉均 氏は、 危険が伴うのは承知の上で、上海に行って
清国の北洋大臣がわざわざ上海に来るのであれば、よい機会であると考え
清国 公使 李 経方公使に出席すると回答をしたとされています。
【 朝鮮独立党 金 玉均 氏 】
朴 泳孝氏らは、 再三 手紙で どうもおかしいので、上海に出向かないよう、
ワナである可能性もあるとの忠告をしたとされていて、 金 玉均 氏のほうには
清国 公使 李 経方のほうから、「 身の安全は保証する。」 と、話があり、
李 経方公使を信用して、上海に出向くことにしたとされています。
このあたり、前後の事が、不可解で、よくわかっていない部分ですが、金 玉均
氏は、危険を恐れず 相手が 清国の 北洋大臣 李 鴻章 と聞いて、相手に
不足はないと考えたようです。
明治27年 福沢 諭吉 先生は、自らが、清国公使 李 経方の言葉を
信じ、 在日朝鮮人 金 玉均氏らが、朝鮮に帰国できる糸口になればと考え
話を仲介したのですが、 大きな過ちであったことに気がつくのは、4月になって
からであったとされています。
【 明日に続く。】