第2149回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2148話 東和洋行ホテル事件 上海への渡航費用のこと。

                         2018年5月8日火曜日の投稿です。




イメージ 1



                  【 朝鮮独立党 金 玉均 烈士 】


   【 前話の続きより。】


  明治27年3月、日本から上海に出向くことになった 慶應義塾 門下 朝鮮

 独立党 金 玉均 氏と、一緒に上海に移動したのは、数名であったとされて

 いて、 一人は、小笠原諸島の父島で、身辺の世話をしていた、和田 延次郎

 と言う当時少年だったとされ、 そして、もう一人 朝鮮からフランスへ留学して

 いた 洪 鐘宇 という青年であったと言い伝えられています。


イメージ 2



      【 朝鮮人で フランスに留学して、東京に来ていた 洪 鐘宇 氏】


  そして 旅費を出したのは諸説があって、 その1つは、 福岡の玄洋社

  資金提供説、 そして 清帝国の清国公使館資金提供説、 そして、慶應義塾

  門下 資金提供説 がささやかれていますが、 証拠になるようなことが残って

  おらず、よくわかっていない部分だそうです。

  有力な説が、 慶應義塾門下説で、それも 福沢諭吉先生が用立てたというの

  が信憑性が大きいようです。



イメージ 3



   明治18年、19年に、朝鮮独立党のメンバーに、「 今は、時期が悪いので

  日本の政府を刺激する発言や、行動を慎み、 自重して 時期を待つように、

  それは、誰のためでもなく、自身のためである、 時期が来たら、慶応一門

  総力を挙げて 帰国の支援をする。」 と、言われていたと言われ、この上海

  での清国 北洋大臣との打ち合わせがよい方向に進み、そして 恩赦が行

  われ1日も早く、母国 朝鮮に帰参が叶えばと、考えていた様です。



イメージ 4
 


  ところで、 謎が多いのですが、 朝鮮半島からフランスへ留学していた

 洪 という青年が、どうして 東京から 金 玉均 氏達に合流して、 そして

 同行するようになって行ったのか、 この点についても 謎の多い部分で、いろ

 んな人が いろんな推測話を唱えているようですが、はっきりしていないようです。

 有力な説が、 清帝国 の公使館の紹介の案内人であったとする説もあります。

 それから、フランスで勉強をして、 自由民権の考えに共鳴して、金 玉均氏に

 近づき、 一緒に 朝鮮の維新回天を行おうと語り合ったとか、 こういうお話しも

 あります。

  

【 明日に続く。】