第2150回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2149話 明治27年 東和洋行事件 「金 玉均 暗殺サル。」の事。


                           2018年5月9日水曜日の投稿です。




   
イメージ 1



                 【 慶應義塾 主宰 福沢 諭吉 先生 】



    【 前話の続きより。】


    「 金 玉均 暗殺される。」 の第一報を 慶應義塾 主宰 福沢諭吉先生

  が手にしたのは、諸説があるものの、 1番 信憑性が高い説は、1894年 明治

  27年4月5日の電報であったとされています。 

  前日の4月4日 神戸港に帰国してきた、上海への同行者の和田 延次郎という

  少年からのお話を元にしていたとされています。

  その後、 東京で、 和田少年から 詳しいお話しを聞くことになって行ったとされ

  ています。

  この和田少年のお話しを聞いて、手渡された、 金 玉均氏の遺髪と衣服の布を

  手にした 福沢諭吉先生は、多いに自分を責め、そして 怒り、 清国との戦争を

  叫ぶようになって行ったとされています。

  つまり、 清国人にだまされていた事をこの時悟ったとされています。

  その 和田 延次郎 少年のお話しとは、どんなお話しであったのか、当時の

  記録から、一緒に勉強したいと思います。



イメージ 2



                        【 商船 西京丸 】


   以前紹介した、日清戦争の 黄海海戦 こと、大狐山沖海戦にて、赤城と

   ともに 清国艦隊に 反転180度して、 突撃した、 当時の海軍軍令部長

   樺山 資紀 海軍大将が座乗していた 西京丸のお話しを紹介したのですが

   和田 延次郎 少年のお話では、 金 玉均 氏一行は、この西京丸に乗船

   して上海に、1894年 明治27年3月27日の夕方に到着して上陸したとされて

   います。

   下船した金 玉均 氏ら一行は、 日本人が経営している 東和洋行ホテルに

   むかって歩いたとされています。


   【 明日に続く。】