第2152回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第2151話 東和洋行ホテル事件 外務省の初動対応のこと。


                         2018年5月11日金曜日の投稿です。





イメージ 1



   東和洋行ホテル事件で、 当時の経営者の吉島 徳三氏から、不審な日本人

 と朝鮮人が宿泊していると連絡を受けた 上海総領事館の 当時の代理領事

 であった 大越 成徳 氏が外務省に電報を送ったのが、翌日の午前中のもう

 午後に近い時間だったようです。

 この電報を受け取った 外務省内を通じて、 当時の陸奥 宗光 外務大臣

 伝わったのは、 金 玉均氏が殺害された後だったようです。

 

イメージ 2

   
                【 当時の外務大臣 陸奥 宗光 公 】





    外務省と、兵庫県知事と、上海領事館の電報を精査してみると、金 玉均

   氏が上海に上陸するまで、日本の外務省は、それを知らなかったようです。

   そして、 外務省が、岩田 周作なる人物が 神戸港から、西京丸に乗り組んで

   いることから、 兵庫県の県知事に調査を命じ、 金 玉均 氏のことであろうと

   報告を受けている電報が残っていて、 これらの事から、 日本の外務省が

   絵を描いて、 じゃまになっていた 金 玉均氏の暗殺に加わっていたとする

   説は、つじしまがあわないようです。

   なぜなら、 外務省が絵を描いて、 この事件を計画していたのであれば、

   兵庫県などに調査を命じなくても、 事件の概要はわかっていたはずです。

   わからなかったから、 金 玉均が 何を行いに上海に上陸したのか目的が

   わからなかった様子が当時の電報の内容からわかります。

   以上の様子から、 慶應義塾の福沢 諭吉サイドや、 朴泳孝氏サイド

   からも 外務省に情報は漏れてはなかったと言う事になります。 


イメージ 3


          【 外務省 上海領事館 代理領事 大越 成徳 氏 】


大越 代理領事は、東和洋行ホテルより、不審な日本人の一行が滞在している

と連絡を受けて、 外務省に報告の電報を打っていた当時、既に 金 玉均氏は

東和洋行ホテルの2階の1号室で襲撃されていたことになります。



  
 
     【 明日に続く。】