第2155回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第2154話 東和洋行ホテル事件 金 玉均 射殺の事。
2018年5月14日月曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
金 玉均 氏の付き人であった、和田 延次郎氏のお話によると、彼が、「 玉均
先生、これから 西京丸まで、使いに行ってまいります。」と語ると、 気分が悪
かった 金 玉均氏は、とう網の椅子に寝そべって、軽くうなずき、目をとじていた
そうです。
そして、彼が 東和洋行ホテルの2階の1号室を出て、階段を下りていき、1階に
降りたとたん、大きな「 バッカーン。」と言う音がして、 数秒後、 さらに、もう1度
「 パッカーン。」 と言う音がして、 そして さらに 数秒後、「バッカーン。」と
3回目の音がしたそうですが、 1階のロビーでは、 だれも 気にする人はいな
かったそうです。
外で 爆竹でも誰かがならしていると考えたそうです。
上海では、 よく 爆竹で、 パチパチ することが 当時多かったそうです。
後の 金 玉均氏の遺体を見分した書類と、和田 延次郎氏のお話をあわせると
こういうことになるようです。
和田 延次郎少年が、1号室の部屋を出て、階段を下りていくのを確認した
暗殺者の 洪 鐘宇 氏 は、 当日の早朝、呉 静軒 氏から受け取った 回転
式拳銃を手に持って、 となりの1号室のドアを開けて、 とう網の椅子に横たわっ
て寝ていた 金 玉均氏の頭部に向かって、「 パッカーン。」 と、拳銃を発射
弾は金 玉均氏の頭部のほほの部分に命中し、金 玉均氏は、手でほほを押さえ
て、 何やら呻きながら、1号室のドアから外に出て行こうとしたところを、後から
洪 鐘宇が、2発目を金 玉均氏の頭部に向けて発砲、 「 パッカーン。」 と音が
すると、金 玉均 氏が ふらふらと動いていたので、 後の肩に 弾が命中し、
金 玉均氏は、 廊下を ふらつきながら 4号室のドアのそばまで行ったところ
で暗殺者 洪 鐘宇氏は、1号室から廊下に出て、 回転式拳銃を構え直すと、金
玉均氏に狙いを定めて拳銃を構えると、 金 玉均氏は、ふらつきながら 1号室
のほうに振り返ったところを、 さらに、一発 洪 鐘宇氏 は拳銃を発射し、弾は
腹部に命中し、 金 玉均氏は、その場に倒れ込み、 ヘビがのたうち回るように
うごめき、血が噴き出して、 廊下が 金 玉均氏のうごめく動きに合わせて、血が
廊下にちっていったと言い伝えられています。
5号室の前から、 廊下をのたうち回りながら 6号室の前の扉まで血を流し
ながら動いていき、 東和洋行ホテルの2階の6号室の前で、金 玉均氏は
絶命したとされています。
ちょうどこの時、 3階に宿泊していた、 日本海軍 島崎海軍大佐の証言では、
銃声がした時刻は、 1894年 明治27年3月28日 15時30分ころであったと
言い伝えられています。
【 3発の銃弾を受けて 殺害された 金 玉均 氏 】
こうして、 朝鮮独立党の一人、金 玉均氏は、上海の日本人が経営するホテル
東和洋行ホテルの2階の6号室のドアの前の廊下で亡くなったのです。
【 明日に続く。】