第2156回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第2155話 東和洋行ホテル事件 暗殺者 洪 鐘宇の逃走のこと。
2018年5月15日火曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
慶應義塾 主宰 福沢 諭吉への 朝鮮独立党の 金 玉均 氏の付き人で
あった 和田 延次郎 少年の申立によると、 階段をおりて、1階のロビーを
歩いていたところ、 「 パカーン、--パカーンーーーーーーーパカーン。」
と、音がして、 周囲を見渡すと、 東和洋行ホテルの人達は気にもかけず、
フロント業務をしていたのですが、 和田少年は立ち止まり、自分が歩いた
方向を向いて階段を見つめていると、 一緒に 神戸から上海入りした、となり
の部屋の洪 鐘宇 氏が片手に回転式拳銃を持ったまま、どたどた、白い
朝鮮服を着て、走って降りてきて、 和田少年や、ホテルの従業員には目も
くれず、そのまま ホテルの入り口から走って外に出て行ったそうです。
【 金 玉均氏を殺害したとされる 洪 鐘宇 氏】
和田少年は、 洪を追いかけて、ホテルの外に出ると、 ホテルのすこし離れた
場所に 橋がかかっていて、 その付近で人混みに消えて 見失ったとされてい
ます。
ホテルのフロントに戻り、 2階に上がってみると、 2階の廊下の突き当たりに
当時、3階に宿泊していた、日本海軍の島崎海軍大佐と、ホテルの主人 吉島
徳三氏が立っていて、 島崎海軍大佐が、「 貴様は、急いで、この地域の管轄
の警察に通報せしめ、 さらに 上海の日本領事館に通報せよ、 残念ながら
この男は 死んでおる。」と、 話していたそうです。
こうして、 金 玉均氏を殺害した 洪 鐘宇 氏は、東和洋行ホテルの2階から
逃走したとされていて、 その時間は、 吉島 徳三氏のお話では、1894年
明治27年 3月28日 午後 15時35分頃であったとされています。
【 次回に続く。】