第2157回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第2156話 東和洋行ホテル事件 経営者 吉島徳三氏の通報のこと。
2018年5月16日 水曜日の投稿です。
【 射殺された 岩田 周作 こと 朝鮮独立党 金 玉均 烈士】
【 前話の続きより。】
上海の東和洋行ホテルの2階の6号室のドアの前の廊下で、3発の銃弾を
受け、のたうち回って死亡した 金 玉均 氏の遺体の周辺には、宿泊していた
2階の1号室から、金 玉均氏の血が 延々と続いていて、 第1発見者の3階
の宿泊者の 島崎海軍大佐と、 ホテルの経営者 吉島 徳三 氏 と、北原
延次 こと、本名 和田 延次郎少年の3人は、驚いて、頭の中が真っ白となり
動転していたところに、 島崎海軍大佐に、「 貴様は上海の日本領事館に通
報せしめ、現地の上海の警察署に連絡して、殺害した犯人を捕まえるべし。」
と、意見具申を受けて我に返り、急いで、「 ここは、お任せします。 すぐ 行って
参ります。」と言うと、大急ぎで、階段を下りて 1階の使用人に、「 大変だ。」
「 実は2階でーーーー云々。」 と 手短に事件を告げて、東和洋行ホテルの
入り口からかけだし、日本領事館をめざしたそうです。
当時まだ、電話などがなかった為、 走って 日本領事館をめざしたのです。
【 明治27年当時の上海 日本領事館 領事代理 大越 成徳 氏 】
上海の日本領事館の当時の責任者は、 大越 成徳 氏で、偶然 当日の
3月28日ずけで、外務省から 領事代理から 領事の職に進級の内示があり
ずいぶん 機嫌が良かったそうです。
ニコニコしていているところに、 領事館の情報提供者の1人であった 東和洋行
ホテルの経営者の 吉島 徳三氏が、 はあはあ 言いながら駆け込んで来て、
「 大変です、大変です。 大変な事になりました。」 と、事件を伝えたと言われて
います。
【 明日に続く。】