第2158回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2157話 東和洋行ホテル事件の日本領事館の対応の事。


                        2018年5月17日木曜日の投稿です。




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             【当時の上海日本領事館 大越 成徳 領事代理 】 


    【 前話の続きより。】


  外務省の本省から、3月28日付けで、領事代理から、領事への進級の電報を

 受取り、よい気分であった 大越 成徳氏は、領事館に 駆け込んで来た 東和

 洋行ホテルの経営者 こと、 領事館の情報提供者でもあった 吉島 徳三氏の

 お話しを聞いて 多いに驚くことになっていったそうです。

  「 領事、大変です、大変です。」 と、 息を切らして訴える 吉島 徳三氏に対

 して、 大越 領事は、「 吉島さん、どうしたのですか。」 と、問いかけたと言わ

 れています。

 吉島 徳三 氏は、「 実は半時程前【はんとき 1時間程度前のこと、】に私の

 ホテルの2階で、 日本人旅行者 岩田 周作 さんが、一緒に連れていた朝鮮

 人に 拳銃で射殺されまして、大騒ぎになっていまして、 犯人の朝鮮人は拳銃を

 持って アメリカ租界方向に逃走しまして、 領事、下手人を捕まえるよう 手配を

 お願いするのと、 岩田 周作 さんの遺体はどういたしましょうか。」と、問うと、



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 大越 成徳 領事は、「 なに、昨日の不信な日本人旅行者 岩田が射殺され

犯人は、同行者の朝鮮人で、アメリカ租界へ逃げ込んだとーーー。」 と、びっくり

した顔で問い直したそうです。

 言い伝えでは、この時点で、 宿帳に署名した、岩田 周作なる人物が、偽名

で、 金 玉均 という朝鮮独立党の重要人物であるという情報はまだ 上海の

現地に伝わっていなかったそうです。

 それ故、 現地の上海領事館の大越 成徳 領事代理は、 日本人旅行者が

殺害された事案として、 日本政府として、アメリカ合衆国が管理する アメリ

租界を統帥している アメリカ領事館と交渉することになっていったそうです。

時に、 事件発生から 1時間程度経った、 明治27年3月28日 16時30分

頃の出来事であったとされています。


 【 明日に続く。】