第2159回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第2158話 東和洋行ホテル事件 上海租界のこと。

                      2018年5月18日金曜日の投稿です。




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   明治27年3月28日に上海の東和洋行ホテルで、朝鮮独立党 金 玉均

こと、 岩田 周作 を拳銃で殺害し、橋を渡ってアメリカ租界に逃走したとされて

いる 洪 鐘宇 氏が逃げ込んだと、 東和洋行ホテルの経営者 吉島徳三氏が

日本領事館に訴えたのですが、当時の租界について少し紹介すると、 租界

と書いて そかい と読み、 どのような意味があるのかというと、 わかりやすく

言えば、日本の長崎の出島のように、外国人専用居留地が当時の上海にあった

のです。 


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  造ったのは、清帝国で、 アヘン戦争に敗戦し、上海を割譲していったイギリス

人を本来は隔離するために造られたのがイギリス租界であったのです。

その後、 アメリカ租界、フランス租界 と租界が出来ていき、 その後、清国の

上海での暴動や、動乱によって、一般の民衆が 外国人の居留地、租界に

保護を求めて逃げ込んで、 本来 外国人を隔離するために造られた租界でした

が、どう言うわけか、 清国人の上海の人々と、外国人が共存する地域になって

いったそうです。




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 こうして、 清国の治外法権の場所のアメリカ租界に逃走した 殺人犯を

上海の日本領事館は、 アメリカ租界を統帥する アメリカ領事館に通報し、

アメリカ領事館の下で、治安維持を行っている司法行政機関の米国租界巡保房

なる役所に、逃走した 洪 鐘宇を逮捕するよう求める手続きを行ったとされてい

ます。


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  当日の夜になって、 アメリカ領事から、巡保房に、殺人者 洪 鐘宇を逮捕

 するよう 通達が発令され、 アメリカ租界の中で捜査が始まったとされています。

 こういう状況の中、 東京府の外務省の本省から電報が届き、「兵庫県の報告

 によると、岩田 周作なる日本人は存在せず、 実は 朝鮮人 金 玉均 で

 ある可能性が非常に高く、調査をすみやかに行うべし。」と、連絡があったそう

 です。
 


 【 明日に続く。 】