第2160回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2159話 東和洋行ホテル事件の上海日本領事館の現場検証のこと。


                        2018年5月19日土曜日の投稿です。





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      【 当時 上海日本領事館 領事代理であった 大越 成徳氏 】




     【 前話の続きより。】


   金 玉均 こと、 岩田 周作 射殺犯人逮捕の手続きを行った 当時の

 上海の日本領事館の 大越 成徳 領事代理は、続けて、射殺現場の現場

 検証の段取りをとったと言い伝えられています。

 彼が捜したのが、当時上海に滞在していた 日本人の医師を見つけて、現場

 に案内したとされています。

  当時のこの時点で、 宿帳に 岩田 周作 と書いてあったので、日本人が

 殺害され、 ちゃんとした記録をとる必要があると判断したようです。



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  和田 延次郎少年の証言として、 日本領事館の職員、 アメリカ租界の

 巡保房の警察官、 それから田口という、日本人の医師、 加藤という名の

 通訳が、東和洋行ホテルの2階にやって来たとされています。

 通訳の加藤 という人は、 日本語と現地の上海語の通訳の 加藤 及英 氏

 の事と思われます。


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             【 被害者の  岩田 周作 こと 金 玉均 氏】


 現場検証は、東和洋行ホテルの2階の6号室前の廊下にのたうちまわるような

姿で亡くなっていた、岩田 周作 氏の遺体の周辺から始められ、 頭部のほほ

の部分から弾頭が入り、 脳に達していて、 この傷が致命傷となったと判断され、

遺体を裏返すと、 後から 肩に向けて 貫通銃創があり、 逃げる途中、後から

発砲を受け、弾が突き抜けたとされたようです。

腹部にも 銃弾が命中しており、周囲を捜査すると、 6号室の前の廊下の壁に

ちょうど、腹の高さ程度の壁に、突き抜けたと思われる着弾の跡が確認され、

5号室の廊下で、逃げる途中、 腹部を撃たれ、 6号室の前まで、のたうち回り

絶命したと、断定されたとあります。


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  続けて、被害者の岩田 周作 氏が宿泊していた1号室を検証したところ

 和田少年の証言から、 とう網の椅子に寝そべっていたところを 不意に

 銃撃を受け、 逃げながら 2発の銃弾を受け、 合計3発の銃弾を受け、

 亡くなったと記録されたそうです。

 日本人の 唯一の 同宿者であった、 和田 少年は、日本領事館で厳しい

 尋問を受けることになっていったそうです。

 彼は、東和洋行ホテルのフロントで、 北原 延次 と名前を書いていて、

 この点について、 なぜ このような名前を書いたのかと、詰問を受ける事に

 なっていったそうです。


  【 明日に続く。】