第2163回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第2162話 東和洋行ホテル事件 犯人 洪鐘宇の犯行の動機のこと。


                      2018年5月22日 火曜日の投稿です。



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        【  金 玉均 氏を暗殺したとされている 洪 鐘宇 氏 】


     【 前話の続きより。】




    1894年 明治27年3月29日 上海のアメリカ租界の巡補房での事情

  聴取で、 犯人とされた、 金 鐘宇 氏は、 自ら犯行を認め、「 国賊

  金 玉均は、 大朝鮮国王の命令で 殺害した者には、大金の賞金がかけられ

  ており、 先の壬午の反乱の首謀者で、 大朝鮮国王の命令で上意討ちを

  行ったに過ぎず、 遺体は、 討ち取った証拠に、大朝鮮国の首都、漢城

  持ち帰り、 国王に報告したい。」と、申し立てたと伝えられています。


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    【 金 玉均氏を殺害しようとしていたとされる 袁世凱将軍 】




  また、「 漢城 駐留の清国の袁世凱将軍より、同様の処刑命令が出ており、

  清国の敵で、 処刑命令が出ている罪人に処断を加えたにすぎない。」 と

  申し立て、 繰り返し 殺害した 金 玉均 氏の遺体を 漢城に送るよう

  訴えたとされています。

  ところで、問題の 朝鮮独立党の 殺害された 金 玉均氏の 遺体は誰が

  手にしていたかというと、 当時の言い伝えでは、 上海の日本領事館が

  手中にしていたとされています。



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   このような事情で、 清国の上海の巡補房や、上海の清国の役所は、犯罪者

 金 玉均の遺体を清国側に引き渡すよう、日本政府の出先機関の 上海 日本

 領事館に対して 圧力をかけていったとされています。

 そして、 アメリカ租界を統帥していた アメリカ領事館は、清国と日本の問題で

 関与せずの姿勢をとり、 遺体は清国の巡補房の役人に引き渡されることに

 なって行ったようですが、1人の日本人が反対し、抗議を始めたと言われて

 います。



  【 明日に続く。】